脳内美化活動
人は思い出を補正してしまう。過去をいつの間にか美化し、あたかも最初から美談であったかのように人に語り過剰な期待をする。
近所に住んでいた憧れのお姉さんに、数年ぶりにあったらそんなに美人ではなかったり
昔旅行で食べて感動した料理を久しぶりに食べに行ったら味が違うなと感じたり、
近所のお姉さんは経年劣化してお姉さんではなくなるし、旅行先の料理はレシピを変えてしまったのかもしれない。
そんなことを加味したとしても、思い出補正による過剰な期待のせいで、なんのバックグラウンドもない場合の評価よりも低い評価をつけてしまうことがある、と思った。
それでも、お姉さんはやさしく宿題を教えてくれたし、あの日食べた料理は人生でいちばん美味しかったんだろうな、と思った。これはただの例え話だけど。
春から一人暮らしを初めてそろそろまる1年が経つ。
実家を離れて間もなく深刻なホームシックに陥った。
未開の地山形で、家に帰っても誰もいないという不安に駆られたのか、
必死に過去の家族たちの思い出を引っ張り出しては、新しい友人やバイト先の上司にいかに自分が愉快な家庭で育ったかをふれ回った。
抽出された面白おかしい記憶の上澄みだけが印象的に書き換えられて、あたかも幸せでなんの苦もなく育ったかのようにわたしの脳が錯覚している。
嘘はついていない。
みんなに話した家族の話は事実。話すための多少の着色はあるものの、あくまで事実だ。
誕生日にジャック・オ ランタンの置物を貰った話。本当は別にそんなに嬉しくなかったけど、めちゃくちゃ嬉しかった!って言ってしまう。
昨日部屋の片付けをしていたらそれが出てきて、5年ぶりくらいに再開したけど、やっぱり不細工な面をしていたし、なんの役に立つのかは全く理解できなかった。
私の頭の中で作りあげた理想の家族立ちに会いに、夢の中で家に帰る。
所詮それは抽出されたほんの1部の過去を無理やり引き伸ばして繋ぎ合わせた虚像に過ぎない。
虚像であっても、取り戻せない過去であってもそれに縋りたいくらいには、家族が好きだ。好きだと思いたい。好きだと思わせてくれ。
たとえそれが私の脳により補正されて美化された過去だったとしても、紛れもない事実だから、それごと否定するようなことはしたくない。
それでも実物とあってしまった時酷く絶望してしまう。所詮お前は不良品だってことを忘れるな、1番痛いところに的確に針を刺してくる。
真剣に思い出してみればそんなことは無いのに、昔はこんなことしなかったのにな、と呟いてしまう。
別にそんなことは無いのに。
確かに病気は昔より進行したしみんな年老いたけど、序盤で話した通り、普段夢で会った家族と比べて悲しくなる。
私は家族と幸せに暮らしたいだけだし、家族は勝手に毎日を生きているだけで誰も悪いことはしていないのに、規制する度次の予定が億劫になる。
その度に思い出をかきあつめて抱いて眠る。指の間からこぼれおちてしまう幸せな記憶と、喉奥から込み上げる嗚咽。消えないのは死ねと言われた時の声だけ。
全部事実なのでいいです。
今更母親にどうなって欲しいとかはないし、現状ほぼほぼ円満な関係を築けているので。
でも殴られたことも暴言吐かれたことも全部全部事実です、ということだけです。
逆も然り。
今も昔もほぼいるかいないか分からない父が今更になって母経由で私の行動を否定してくるとか、反抗期真っ只中の弟に当り散らしているとか、
それでも、母から殴られている時助けてくれたのはパパだけでした。それは事実でした。
私は私が、なるべく幸せに生きていけるように脳内のパズルを入れ替えているだけ。
虚しくないのかと聞かれれば何も行けないけど、虚しくても帰る場所がないより断然いい。私にとっては。