備忘録

備忘録をかねたアウトプット

気持ちの記録 2019311

寝てても3月11日は来るし、何してても時は流れる。

 


黙祷の間も食レジはずっとピッピしてたし、ケンタッキーも肉売ってたし、ふかひれスープに赤いのしをかけた。

 

買い物をするなという訳でもないし、今日肉を食うなと言う訳でもない。


きっと今日は誰かにとってとっても大切な記念日で、誕生日で、喜ばしい日でもある。


それを祝うのは当然のことだし、365日のうちの1日に当たることなんか何も珍しくない。

今日を国民全員が慎ましく静かに生きるべきだと言うならば、8月15日は全員家から出ずに薄暗い地下で生米を齧ることになる。


何をするにも後ろめたくて、温かいご飯も、広すぎる布団も、友達と放課後遊びに行くのも申し訳ないとおもっていた。
たくさんたくさんの人が死んだのに、どうして私なんかが生き残ってしまったのかと今になっても思う。

 

私が死ねばよかったのに。

 

見かねた母がディズニーランドにまで連れてってくれたけど、世界で1番楽しくないディズニーランドだった。

 

毎年、立ち止まって向き合うべきだとは思う。それでも、毎回毎回毎回つまづいてしゃがみこむ必要は無い。


たった1分間、立ち止まって貰えたらそれでいいんだと思う。

 

たぶん一年に一度、たくさんの時間をかけて何かをするより、毎日10秒だけ、自分の中で思い出せたらそれでいい。

 


実はまだやるせない気持ちと後悔と恐怖でなんの整理もついていない。
あの時を糧に今を生きていると胸を張って言える訳でもないけど、そのおかげて、今がんばれていることは沢山ある。


失ったものはたくさんあるけど、得たものがたくさんありすぎて、単に損得勘定でどうにかなるものじゃない。

 

どんなに願っても嘆いても過去も人も物も時間も帰ってこないなら、失ったものを数えるより、

 

これから出会うあなたの幸せを願いたい。

 

 

悲しい気持ちを乗りこえたわけじゃない。後悔がなくなったわけじゃない。怖くなくなったわけじゃない。


さっき言ったように寝たら明日が来るし、起きてても明日は来る。

8年前の今日に戻りたいって何千回願って目を閉じても、起きるのは明日だった。

 

 


無理なものは無理で、死んだ人は帰ってこなくて、海の底に引きずり込まれた私のふるさとは二度と浮かんでこない。


このどうしようもない気持ちの矛先が欲しくてたまらない。

誰かを責めたくて仕方ない。
私のふるさとをかえせ、死んだ人をかえせ、家をかえせって、どこに叫んで誰を殴っても何一つ帰ってくるわけじゃないのに。

 

きっとこのままやるせない気持ちを抱えたまま、これからの人生を生き続けるんだと思う。

 


人間、死ぬ時は死ぬし、ものはいつか壊れるしなくなる。
そう考えるのはあまりにも冷たすぎるけど間違ってはいない。あまりにいっぺんに無くなってしまったから、空いたスキマがおおすぎて寒くて仕方ないだけ。

 

それでも、私が後ろ向いてしゃがみこんだままではいけない。

と思った。

 

 

 

 

加筆

 

 

それでもとてつもなくやっぱり死にたい気持ちに毎年なってしまう。

 

気まぐれで母のFacebookの投稿を遡っていたら2015年の3月11日の投稿があった。

 

今よりももっとわたしは現実に向き合えてなくて、

それ以外にも日々の生活に対して鬱憤を抱えていて

 

4年も長い夢を見ていると思っていた、らしい。

 

私は家がまるまる無くなった訳でもないし、何ヶ月もどこかの避難所で不自由な生活をしていたわけじゃないし、

家族や特別親しい友達をなくしたわけじゃない。

 

先日、某会社の社員研修で気仙沼を訪れた人たちと気仙沼のまちをあるいた。

 

私の出身ではない地域で、私はついてまわるだけ。

 

その地域の出身の同級生が語ったのは、私か体験したことよりもずっと悲劇的で、辛い経験だった、

 

それでもあの頃の、避難していたお寺での共同生活はちょっと楽しかったよねなんて話していて、

 

胸の中に寒い風が吹き込んできている感覚だった。

 

 

思い出したくないことばかりで気持ちと記憶に蓋をしていたけど

 

避難所暮らし1週間目くらいのご飯の時に友達が言っていた気がする。

 

前の暮らしと今の暮らしどっちがいい?

 

私は前がいい前がいいって繰り返していたけど

友達は、ご飯もちゃんとしてお風呂も入れるなら今の暮らしもわるくないかな、って。

 

 

記憶に蓋をしすぎたせいで、忘れかけているものが沢山ある。

 

 

避難所がヒマすぎて、家が学校の近くの友人達がもってきたデュエルマスターズを5時間くらい5vs5くらいで対戦したり、

 

軽トラに繋がれてた犬にちょっかい出してガチで噛まれたり、

 

たった1粒のスニッカーズチョコレートで大喜びした。

 

 

すべてを手放しに考えるとすれば、

たくさんのものを失ったけれど、何故か笑って過ごせていた生活は、

 

もしかしたら1番私たちが前向きだった瞬間だったのかもしれない。

 

そこから時間がたっていろんな現実をぶつけられて、問題が浮き彫りになって、

 

記憶と気持ちを押し込めてしまって、

あの時の前向きな気持ちも忘れてしまっている。

 

 

家も金も飯もないけど、生きてたからなんとかなるかなんてテキトウだけど、

前向きな気持ちがあの時体育館で生活していた時には確かにあった。

 

 

立ち止まって何を考えるかは人それぞれだけど、

私は私の押し込めていた記憶のフタを少しだけずらしはじめている。

 

全部一気にぶちまけたら多分また辛くなってしまうけど、

ちょっとずつずらして自分なりに向き合いたいと、思う。