備忘録

備忘録をかねたアウトプット

ワッフルコーン

タイトルをこの時点で決めかねている。

 

事例研究が終わった。

 

結論からいうとこんだけ堕落した生活をして、散々学生という権利を放棄している気も関わらず

 

島ヶ原のおかみさんの話を聞いて泣くかと思った。

この人たちの期待に応えなければ行けないと思った。

 

自分が単純すぎて笑けるが、

単純だからこそ受け入れられ他と自分を正当化したい。

 

八方美人も笑っちゃうほど子供の頃からいわゆる地域の大人の懐に入るのが得意だった。

両親共働き故に文字通り地域で育てられた私が身につけた処世術たち

 

その人の求める親族を演じること、

孫でも娘でも妹でも姉でも

 

近しい人物の立場にするっと入り込む。

田舎特有の閉じたコミュニティに入り込むいちばん手っ取り早い方法だな、と少ない実践の場で実感した。

 

私が全てにおいて得意なのはフリであって本物には所詮慣れない。

 

そのフリが自分の首を永遠に締め続けていることを頭では理解していても辞められないくらいには得意

 

 

フリもフリで自分さえもだまれせば擬似的に出会っても本気になれるものでここまで来てしまった。

 

最高に気持ち悪い言い方をするのであれば、私の中の天使と人間と悪魔がいて、

 

希望に満ち溢れた未来を描く私が時間と金を浪費する私を嘆いている。

 

世をするすると渡る自分とのギャップとジェラシー出来にかける私、にんげん。

 

 

表面的に活躍する私も、ゴミクズ上等な私も、永遠に成長できない幼女同然の私も、

所詮全部頭の中の妄想劇にすぎない。

 

事例研究期間中の脳内会議もとい葛藤の忙しさ。

 

素直に地域の方々の歓迎に感動しながらも覚めた気持ちが拭えない。頭の隅で地元と比較しながら意味の無いホームシックに駆られていた。

 

フリも特異だけど

脳内補正と記憶の美化、自己正当化が特技でもある。

 

正直味覚障害摂食障害で食べたものの味なんか分からないのにおいしかった、とあたかも心から味わったような感想がお経みたい諳んじることができるのはとくぎのおかげなんだろうな。

 

自分のやることなすことに自己嫌悪になることは簡単だけど、

正しかったと正当化するのにはエネルギーがいる。とっても。

 

 

どこかで書出すなり言うなりしなければこれは正しいんだよね?とひとに問いようが無い。自分を正当化する上での重要なことは他人からのウン、の一言しかなかったりもする。

これでよかったんだ、と声に出せて初めて時分が悪者のゴミくそではなくなる。

そういうもの。

 

 

たとえフリ出会っても正当化だあっても、書き換えられた記憶であっても、

 

島ヶ原のおかみさんからまたきて、と言われたことは事実である。事実は事実。

 

今日も人に嫌われなかったと安堵して目を閉じる。浴室ロンリー反省会。

 

 

フリだったとしてもなんでも、

わたしだやりたいとおもっちゃったんだから、わたしがなんとかしなよ。

1回志したことを中途半端で全部ぶん投げて生きられるほど自己肯定感も高くなければ他のことをいちから始める根性も時間もセンスもない。

 

惰性に似た状態で後期からも学校に行くんだろうな。

 

 

病気だから、ということを言い訳にしてサボっているとしか見えないけれど

病気だと思い込まないと自分がゴミクズすぎてうっかり13号線の真ん中で寝たくなる。

 

それでもなんとかして生きて人並みの人に見えるように生活をしている。

今日も生きている。

 

今日も生きているという事実だけを褒めたい。

 

昔描いた女子大生としての生活とはかけ離れているかもしれないけど、これが現実で私で、限界でしかない。

 

全ての選択肢が正しかったとはいえないけど、正しくなくとも選んだのは私なのでやるしかない。

 

明日死ぬことを決め込んで散財してしまった夜明けでさえ、私が選択したことであって

そのあとのしわ寄せで生きるのがさらに嫌になるのも私の選択の結果

 

だから事例研究にいったのも、関西を選んだのも、

大学に入ったのも私の選択。

紛うことなき私の選択。私の選択。

 

生きづらいくせにさらに自分を生きづらい見た目にしたのも私。

 

健康になりたい、普通になりたいって願うくせに、普通になりさがってしまうことが怖い。

普通になったらなにで自分を肯定してあげたらいいのか分からない。

 

普通になりたい。