備忘録

備忘録をかねたアウトプット

だれにも

ないしょでってはじめてのおつかいでしたっけ。あんまりよく見た事ないけど。

 

初めての一人旅をしました

東京まで。

 

10日の高速バスの昼便で東京まで行って、新宿について渋谷でライブ、町田の友達の家に泊まって原宿にいったあと新宿でつつさんにおはなしききやさんしてもらって、川越のともだちの誕生日を祝いに東武東上線。大宮から夜行で帰ってきました。

 

結構電車乗ったけど1回も間違えなかった、わりと。

割と地図読めるんだよなあ、方向音痴とか言うけど。

 

学校のごく親しい友達とか、向こうで会う人以外誰にも言わずライブよチケットとってバス予約して行ってきました

 

山形外に1人で遠出するのははじめて。

案外行けるかもしれない。

 

 

人に囚われるのがまじで本当にむりで、食べたい時に食べたいしねたいときにねたいし、入りたいと思った店にフラフラ立ち寄りたい。

 

道に迷っても自己責任、入った店が不味くても自己責任。

 

その川越の友達といった卒業旅行も好きだったし、ずっと挙動不審だったけど割と楽しかった。ナ、

 

 

人生で初めてライブにいきました。恋焦がれた推しと同じ空気を初めてすいました。

 

スマホの画面で推しを見すぎたわたし「デ、デカイ」

 

典型的すぎますが、い、生きてる?

 

大きすぎる音量で耳は死んだし、バスドラが胸腔に響きすぎて痛いし、後ろの人から蹴られるし横の人から殴られたし知り合いひとりもいなかったけど、

こんなに夢中になれる早すぎる2時間半があるんだと思いました。

 

 

ヘドバンのしすぎて首が激通だし、ジャンプのし過ぎであるけないしピアスちぎれると思ったし足痣だらけだけど8月の仙台も早々に申し込んでしまった。

 

推しが生きてることに頭が追いつかない。

 

 

橋本まで満員電車に揺られる。降りた駅は神奈川県だった。

 

神奈川?東京?

ともだちのママがつくったカレーたべたけどマジで人の作ったご飯美味しい、

 

友達のおうちから多摩境駅まで1人であるき。地図読める。

 

原宿ひとりで黒人のデカい怖い人に絡まれるかと思ってびびり倒していた。

 

不機嫌な顔をしてしまうくせのせいか、人を殺しそうな目のせいか、1回も絡まれず。  

 

代わりに(?)ヤバそうなカメラもったオジサンに「ファッションサイトのものなんですけど~」って声をかけられた。

 

絶対に多分やばい人だったから無視して正解だったんだろうけど、余りにもガン無視しすぎたせいか

「あっ、そういうの興味ないですか~すいませ~ん」って言われててなんかごめんって申し訳なくなった。私は多分悪くないけど。

 

普段服屋に入るのも躊躇する私ですが、昨年ぐらいに今の隣人といった原宿の服屋にまた行きたくて挙動不審ではいる。

 

1年たったけど挙動不審すぎて店員さん覚えててくれて接客業ってスゲー、

 

前回挙動不審すぎて友達の後ろに隠れていたけど今回はたくさん喋ってコーディネートもしてもらって、たのしい。

買うつもりで言ったしお金買う使うつもりで言ったけど人生初ハイブランドで心拍数が上がるな、

オニーサンまた来ます。

 

 

13時30分に新宿でつつさんと待ち合わせ

新宿迷宮にははまらず。

 

例え社交辞令お世辞であってもつつさんから美人になったねとかめんこくなったねって言われるのが世界でいちばんうれしいです。

 

 

実はつつさんとあったのは2年半以上前で、

つつさんがまだ大学生で、私も高校生になりたての頃で、

 

そのときから仲良くして頂けてるなんて恐れ多くてひっくり返っちゃうな。

 

ましてやこうやっておはなしききやさんして貰えるなんてうれしい。

 

ライブにはもちろん行きたかったけど、わざわざ東京まで行こうって決めた理由のひとつです。

 

なんの話を、とかではなくてとにかく人と話したくて、

脈略のない話を聞かせてしまった。

 

カギを閉めたかガチャンッて確認して誰かに閉めたよってLINEするって教えて貰って採用です。

 

ほんとうになんか、幸せな時間でした。

ほんとうにありがとうございました。またすぐ東京行きます。

 

ガパオライスご馳走になってしまった。ごちそうさまです。

 

 

池袋を経由して川越まで東武東上線

進学で川越に引っ越した高校の友達の誕生日を祝いに。

 

卒業旅行で川越に行った時に2日連続行ってしまったピザ屋さんでバースデープレートを予約していた。

私が挙動不審すぎて7割くらい気づかれていたけど。

 

喜んでもらえて嬉しかったしピザ屋の店員さんも覚えててくれてうれしい。

 

卒業旅行で川越行った時、またきま~すとか言ったけどこんなに早く行くことになるとは思わなかったナ、

 

本当に何時間しゃべってても話が尽きなくて、お互い酸欠になって具合悪い。

 

実は高校3年間同じクラスだったはずなのにこんなに仲良くなったの3年になってからってめちゃめちゃウケるし、卒業旅行もふたりで行ったのほんとうにいまでもよくわかんないけどだいすきなともだち。

 

LINEじゃなくて電話じゃなくてお誕生日おめでとういえてよかったな~、

 

ともだちの彼氏が1回川越まで行ったら案外近くね?ってなって軽率に来ようとしてウケるって話をしたばっかりだったけど、

私も案外近くね?って思ってしまった。

 

軽率に川越行きそうでウケる、、

 

高速バスにのりすぎると5時間くらいなら寝たらつくやろとか思ってしまう。

 

気仙沼から仙台まで3時間かかるけどなんだかんだ月1くらいの頻度で仙台いってたし山形にも足繁く通ってたし、

3.4時間バスに揺られることが普通だったからそれが5時間になっても8時間になってもケツがいたいな、くらいですんでて自分の強さに感動している。

 

 

本当に冗談抜きで東京も川越もノリでいっちゃいそうでこわいな、

 

 

卒業旅行のときと同じ夜行バスで仙台まで。

山形行きのバスに揺られながらこれを書いている。

 

大宮駅前のガストで課題をやろうと思っていたら、ガストが消えたのか私の目が悪いのか分からないけどなんかなくて、

 

40分くらいバス停の横の植え込みにすわって、ファミマの明かりを頼りにMacBook開く不審者になっていた。

 

心配した友達から連れ去られないでねとかたくさんLINE来たけど

 

コンビニの前の柵に座って真冬にアイス食べるし、仙台駅前のベンチでガチ寝するし、原宿で絡まれないくらい人相悪いから大丈夫だよ、、

 

 

2日間好きな人達にあいすぎてあたまもこころもいっぱいいっぱいだ。

 

ジャンプのし過ぎでたぶんひだりあし肉離れだけど。

 

幸せでたまらない。

 

初○○を克服していかないと私の世界は広がらない。

 

 

昔から逃避癖があって、

見て触ったものしか実在してるって信じられない。

 

私の行ったことのない場所の話をされても、はりぼてみたいで現実味がまったくない。

やらないと行かないと信じられない。

 

現実味がないから興味もない。

 

 

なにをしたとかよりも、ひとりでなんかやって見たってことに意味があると信じたいな。お財布はすっからかんだけど。

 

またいろんな人に会いに行きたいし、いろんなところに行きたいので頑張ってお金稼ぎます。

 

関東のみなさんありがとうございました。またすぐいきます、

 

 

マイノリティ

マイノリティもマジョリティだしマジョリティもマイノリティ。

 

地球でマジョリティかもしれないけど、火星ではマイノリティだからな。

 

 

LGBTQを認めよう!受け入れよう!っていうガツガツしたかんじが嫌い。

 

多様性を受け入れることが、多分世界平和への一番の近道だろうけど、

 

ひっそりこっそり、それでも幸せに生きていた人を表に引っ張り出して堂々と自分が女だ男だ同性が好きだって宣言させるのってなんか多分違う。

 

 

受け入れてあげている、認めてあげている、

そんな心の広い自分に酔ってませんか。

 

 

あんたに認められなくてもみんな生きているし、好きな格好ができるし好きな人を好きになる。

 

とってもそういう感じ嫌だなあと思う。

 

LGBTQだとしてもそうじゃなくても、人として生きていることに変わりはないのに、特別な人を認めてあげている自分って最先端!とか思うなら真っ向から否定してくれ

 

 

だれかの承認欲求のためにマイノリティやってんじゃないよ、

 

そんなふうに利用されるくらいなら理由もなく否定され続けた方が楽なのかもしれない

 

こういうこと言うと、じゃああなたは女が好きなんですか?男になりたいんですか?って聞く人がいるけれど、

多分あなたには関係ないです。

 

好きだったら好きだと言うし、もし性別に違和を感じて悩んでいて、あなたを信用していたらとっくに相談している。

 

 

無理にカミングアウトさせることも、無理に自然体でいさせることも、多分違う。少なくとも今は違う。

 

 

これが10年20年たって、誰を愛そうと何を着ようと誰であろうと全員が“普通”になったなら、

 

血液型と同じように、好きなタイプと同じように、自己紹介で言う日が来るのかもしれない。多分まだ先だけど、

 

 

明日から全面的に同性婚認めます!なんて絶対にならないし、ならない方がいいと思う。

 

 

確定事項じゃない、多様すぎることはたぶん法律には当てはめられないし、

包括的に法律を作ることは難しいし、

 

きっと同性婚をみとめても、多分たま別の多様性っていうものが出てくる。

 

時代も法も変わるものだけど、

 

それに合わせて生きている人もかわっていく。

 

 

今すぐ誰とでも結婚できるようになることが吉なのか。

結婚じゃなくともそれ相応の権利をもらえる制度を今すぐに作るべきなのか。

 

 

 

 

ゴリ押しも押し付けもとってもいや、だ、な

とレインボーフラッグのニュースを見て思った。

レインボーフラッグみんなたのしそうだし、キャビンアテンダントの服きたいしいつか行きたい。

 

知り合いかアラバキとレインボーフラッグに言ってる人が沢山いてインスタのストーリーが賑やかです。

 

 

 

みんなが人がどうあるべきかになんて干渉しない、サラサラな世の中に早くなりますように。

 

普通に考えて初対面でアンタ女好き?ってきくのも失礼なんだからゲイ?って聞くのも失礼に決まってんだろ。ゲイならいいとかオカマとかオナベとかコンテンツ化してやった気になってんな。

 

あんたのおもちゃのために生きてる人なんか居ないよ。

 

自分のために生きてる。自分のありたい姿で、愛する人を愛すために生きてる。

 

 

ゴミピット

ゴミだめよりヤバそうなのってゴミピットかなって思った。

小学生の時にクリーンヒルセンターに見学に行ったけど凄かった。

おちたら絶対死ぬんだって。

 

 

 

ピアスをアイデンティティにするのはやめようと思った。

ただ単に耳に穴が多く空いているだけでなんになるんだろう。

 

とってもとってもかわいくて愛おしい穴が10個、私の耳には開いている。

 

穴の空いた耳がかわいくてたまらないけど、なんだかみんな開け始めて私だけの耳ではないように気持ちになってしまった。

 

 

というか穴の数が多くなきゃ、より痛いところに開けていなきゃ、なんて考える方がバカバカしくなった。

 

かわいいから開けたし、かわいいからピアスをさしている。

 

それに、ほかの理由をつけて愛でていたほうがおかしかった。

 

 

それでも、私が私であるために奇抜なことをしたかったのは事実。

 

 

バイトがピアスだめらしいので、上の軟骨5つは塞ごうかなと思っている。

 

べつに開けたくなったらまた開ければいい。

 

穴を開けるためのニードルはそんなに高いものでは無いし、新しく開けたいと思っている場所に開けるには、今空いているところが邪魔になってしまう。

 

 

ある程度、ピアスに誇りを持っている。

 

 

好きなアイドル歌手を否定されるとマジギレしたり、吹いている楽器を雑に扱う人が嫌いなように。

 

ニードルとピアッサー以外でピアスを開ける人が嫌いだ。

 

 

1本50円のニードルと、1000円のピアッサーをケチるならピアスは開けない方がいい。

 

勝手にやって勝手に楽しむなら勝手にすればいいけど、人に言うのはデメリットしかない。

  

 

 

 

 

 

 

気づけていなかったことが多くて、綺麗な部屋に住んで綺麗な学校に通っているのにどうにも息苦しい。

 

ゴミピットを覗いた時の足がすくんで悪臭でくらくらした時を思い出した。

 

落ちたら死ぬけど。

 

 

私は落ちないよ。私は。

 

 

 

右ヘリックス2、ロブ3

左ヘリックス2、アウターコンク1、ロブ2

独り

暮らしをしている。

 

実家に住んでいた時から普通に家事はやっていたし、いざやれと言われたら特に苦労することなくこなせる。

 

4人分の食事を準備することも、抱えきれない洗濯物を干すのも大した労力ではなかった。

 

 

しかしこれが1人で1から10までとなると急にバカバカしくて面倒になる。

 

私ひとりが飯を食わなければその日のお支度はない。洗い物も出ない。

(家事の中で洗い物がいちばん嫌い)

 

私一人のためにわざわざまな板と流しを汚す気になれない。

 

 

今日くらいいいかと貯めてしまう洗濯物でさえ、困るのは私ひとりしかいない。

 

 

お腹を空かせた家族がたべてくれるから料理ができたのであって、私ひとりの腹を満たすために同じことが出来る訳じゃない。

 

誰も待っていないのに、何かを作るのは虚しい。

 

自分のために頑張ることが出来ない。

 

 

生きがいを他人にするなとか、幸せの意味を人に押し付けるなって言葉をつい最近何処かで見ました。

 

確かにそうだと思った。

 

どんなに大好きな人がいたとしても、その人が死んでしまったら終わる幸せなんて不確実すぎて、自分の幸せ有無を他人に預けるなんてもしかしたら馬鹿らしいのかもしれない。

 

自分の人生の幸せを自らの選択によって掴み取っていけるほど私は、自分に自信がある訳でもないし

幸せになりたい訳でもない。

 

たとえその幸せを他人に依存したとしても、

私は私の好きな人たちと生きていけたら幸せだと思う。

 

 

独りですることになんら意味を感じられない根本かもしれない。

ひとり暮らし向いてません。

 

 

家族の腹を満たすための食事より、私ひとりが生き長らえるために食う飯の価値が低いのは当たり前だけども、

 

興味関心が全くなくて美味しく作る気にもなれないので当然まずい。

キャベツがこんなに不味いってことあるか?と思ったけど実はキャベツがそこまで好きではなかった。

 

 

食えと言われたら食うし、食卓に並んだら普通に食べられるけど、自分から進んで食べるかと言われたらそうでも無いものが多い。

 

絶対に食べたいものを数えた方が早く終わる。

 

複数人、もしくは食べさせる対象がいる場合、その人は何が好きかなという考えかたが出来る。

1人だと私しか食べる人がいないので、興味が失せてしまう。

 

 

前々から趣味は料理を作って人に食わせることと公言している。

 

全く趣味とは逆のことを毎日しなければないのは苦行。

 

そもそも味音痴なので人に食べさせる以外に作ったものが美味しいか否かを判断できない。

 

独りで生きるのに向いていないどころか生きていける気がしない。

 

2年で部屋を契約しているので、3年次、あまりお互い私生活には干渉せずに助け合える系のルームメイトを募集します。

 

 

 

口先で人との繋がりとかいうことは簡単で、指先だけで誰か繋がれてしまう今、

 

私は部屋で孤独である。

 

他人に生きがいを求めることは身勝手かもしれないけれど、生きがいもなく死んだように生きるより断然いい。

 

むしろお互いが生きがいになれば同じ数だけ荷物を持つことになるので、なんの問題もない気もする。

 

 

私は私の好きな人達が居ないと生きては行けないし、

私の好きな人たちの生きる意味になりたいと思う。

 

 

自分一人で掴む幸せは私にとっては幸せではないと思う。

 

たとえ大富豪になってまいにち贅沢な暮らしが出来たとしても、そこにあなたがいなければなんの意味も無い。

 

 

4年もひとり暮らしできる気がしないし、めちゃめちゃにホームシック。

沼に帰りたい。

 

実は早々に26~28に帰省してました。

4月6日にもまた帰ります。

 

 

 

 

 

何者に、

1年生の時に出席番号が一つ前だった子が、東京でアイドルになったらしい。

どういう経緯かは知らないけど、既存のグループの新メンバーとして発表されているのをTwitterで見た。

 

 

彼女はアイドルになったらしい。

 

 

私は何者になったんだろうか。

 

高校生という肩書き死んだいま、私持てるものが何も無い。

何をしても普遍である。

 

そしてこの春休みが毎年、とても憂鬱だ。

 

何者でもなくなってしまう。

高校三年生と名乗るのも卒業してしまったし、大学生と名乗るには入学していない。

 

宙ぶらりんで自分がどこにいるのかわからない春休みは、より一層自分が何者なのか自分に問いては虚無になる。

 

 

普通になるくらいなら死んだ方がいい。

と思っていた。

 

今も少し思う。

普通にサラリーマンの旦那と結婚して普通に子供を産んで人並みに子育てをする幸せを手に入れたいなと夢心地でたまに思うこともある。

それは一種の現実逃避ではあるけど。

 

 

 

一人暮らしを初めて間もない片付かない部屋で

買い置きの野菜を消費すべくガタガタと料理をしている時に、

 

彼女はアイドルになってダンスレッスンに励んでいるのに、私は何故にんじんを切っているの?と思った。

 

当たり前じゃん。

彼女はアイドルになったけど

私はアイドルにならないし、この春から大学生になってひとり暮らしをするのだから。

 

 

それでもステージの上で、アイドルとして生きる時間を人生のうちでいくらかすごす彼女が、

妬ましいと思った。

 

 

アイドルになりたい訳じゃなくて、

 

何者かになってステージに立ちたい。

何者かになりたい。

 

私のままでいたくない。

 

4年の大学生活の中、授業外の時間のほとんどをアルバイトに充てなくてはならない。

それは自分の選んだ道だけど。望んだことだけど。

 

それでも、

 

羨ましいと思った。

 

人から褒められるのが得意ではない。

 

むしろ嫌なときの方が多い。

お前は私の何を知ってそんな薄っぺらい言葉をならべているんだ、?

 

あんたはすごいから、も

あんたは違うからも、

 

その言葉一つで私の本質を見ずに別のカテゴリーにまとめられてしまっている。

 

私が何者であるかも見極めないのに。

 

 

私はパパとママの娘で、

ジーちゃんとバーちゃんの孫で、

あの子の友達で、

あの人の相方で彼女で、

あの子達の先輩で、

あの人たちの後輩で、

先生の教え子で、

 

 

ある。

 

将来何になりたい?って聞かれて公務員って答える定型文じゃなくて、

 

私は何になりたい?何になれる?

 

 

それを考えるのが大学生活4年間じゃないですか、

それが、学生の本分じゃないですか、

 

あせるなよ、わたし。

 

わたしはわたしで、私なんだから。

 

私は私が大好きなので、大丈夫です。

 

 

 

 

 

気持ちの記録 2019311

寝てても3月11日は来るし、何してても時は流れる。

 


黙祷の間も食レジはずっとピッピしてたし、ケンタッキーも肉売ってたし、ふかひれスープに赤いのしをかけた。

 

買い物をするなという訳でもないし、今日肉を食うなと言う訳でもない。


きっと今日は誰かにとってとっても大切な記念日で、誕生日で、喜ばしい日でもある。


それを祝うのは当然のことだし、365日のうちの1日に当たることなんか何も珍しくない。

今日を国民全員が慎ましく静かに生きるべきだと言うならば、8月15日は全員家から出ずに薄暗い地下で生米を齧ることになる。


何をするにも後ろめたくて、温かいご飯も、広すぎる布団も、友達と放課後遊びに行くのも申し訳ないとおもっていた。
たくさんたくさんの人が死んだのに、どうして私なんかが生き残ってしまったのかと今になっても思う。

 

私が死ねばよかったのに。

 

見かねた母がディズニーランドにまで連れてってくれたけど、世界で1番楽しくないディズニーランドだった。

 

毎年、立ち止まって向き合うべきだとは思う。それでも、毎回毎回毎回つまづいてしゃがみこむ必要は無い。


たった1分間、立ち止まって貰えたらそれでいいんだと思う。

 

たぶん一年に一度、たくさんの時間をかけて何かをするより、毎日10秒だけ、自分の中で思い出せたらそれでいい。

 


実はまだやるせない気持ちと後悔と恐怖でなんの整理もついていない。
あの時を糧に今を生きていると胸を張って言える訳でもないけど、そのおかげて、今がんばれていることは沢山ある。


失ったものはたくさんあるけど、得たものがたくさんありすぎて、単に損得勘定でどうにかなるものじゃない。

 

どんなに願っても嘆いても過去も人も物も時間も帰ってこないなら、失ったものを数えるより、

 

これから出会うあなたの幸せを願いたい。

 

 

悲しい気持ちを乗りこえたわけじゃない。後悔がなくなったわけじゃない。怖くなくなったわけじゃない。


さっき言ったように寝たら明日が来るし、起きてても明日は来る。

8年前の今日に戻りたいって何千回願って目を閉じても、起きるのは明日だった。

 

 


無理なものは無理で、死んだ人は帰ってこなくて、海の底に引きずり込まれた私のふるさとは二度と浮かんでこない。


このどうしようもない気持ちの矛先が欲しくてたまらない。

誰かを責めたくて仕方ない。
私のふるさとをかえせ、死んだ人をかえせ、家をかえせって、どこに叫んで誰を殴っても何一つ帰ってくるわけじゃないのに。

 

きっとこのままやるせない気持ちを抱えたまま、これからの人生を生き続けるんだと思う。

 


人間、死ぬ時は死ぬし、ものはいつか壊れるしなくなる。
そう考えるのはあまりにも冷たすぎるけど間違ってはいない。あまりにいっぺんに無くなってしまったから、空いたスキマがおおすぎて寒くて仕方ないだけ。

 

それでも、私が後ろ向いてしゃがみこんだままではいけない。

と思った。

 

 

 

 

加筆

 

 

それでもとてつもなくやっぱり死にたい気持ちに毎年なってしまう。

 

気まぐれで母のFacebookの投稿を遡っていたら2015年の3月11日の投稿があった。

 

今よりももっとわたしは現実に向き合えてなくて、

それ以外にも日々の生活に対して鬱憤を抱えていて

 

4年も長い夢を見ていると思っていた、らしい。

 

私は家がまるまる無くなった訳でもないし、何ヶ月もどこかの避難所で不自由な生活をしていたわけじゃないし、

家族や特別親しい友達をなくしたわけじゃない。

 

先日、某会社の社員研修で気仙沼を訪れた人たちと気仙沼のまちをあるいた。

 

私の出身ではない地域で、私はついてまわるだけ。

 

その地域の出身の同級生が語ったのは、私か体験したことよりもずっと悲劇的で、辛い経験だった、

 

それでもあの頃の、避難していたお寺での共同生活はちょっと楽しかったよねなんて話していて、

 

胸の中に寒い風が吹き込んできている感覚だった。

 

 

思い出したくないことばかりで気持ちと記憶に蓋をしていたけど

 

避難所暮らし1週間目くらいのご飯の時に友達が言っていた気がする。

 

前の暮らしと今の暮らしどっちがいい?

 

私は前がいい前がいいって繰り返していたけど

友達は、ご飯もちゃんとしてお風呂も入れるなら今の暮らしもわるくないかな、って。

 

 

記憶に蓋をしすぎたせいで、忘れかけているものが沢山ある。

 

 

避難所がヒマすぎて、家が学校の近くの友人達がもってきたデュエルマスターズを5時間くらい5vs5くらいで対戦したり、

 

軽トラに繋がれてた犬にちょっかい出してガチで噛まれたり、

 

たった1粒のスニッカーズチョコレートで大喜びした。

 

 

すべてを手放しに考えるとすれば、

たくさんのものを失ったけれど、何故か笑って過ごせていた生活は、

 

もしかしたら1番私たちが前向きだった瞬間だったのかもしれない。

 

そこから時間がたっていろんな現実をぶつけられて、問題が浮き彫りになって、

 

記憶と気持ちを押し込めてしまって、

あの時の前向きな気持ちも忘れてしまっている。

 

 

家も金も飯もないけど、生きてたからなんとかなるかなんてテキトウだけど、

前向きな気持ちがあの時体育館で生活していた時には確かにあった。

 

 

立ち止まって何を考えるかは人それぞれだけど、

私は私の押し込めていた記憶のフタを少しだけずらしはじめている。

 

全部一気にぶちまけたら多分また辛くなってしまうけど、

ちょっとずつずらして自分なりに向き合いたいと、思う。

 

 

フルサト

2019年4月7日、気仙沼大島大橋が開通する。

 

いつかの全国ネットでしわしわのおじいちゃんが「生きてるうちに通ってよかった」って泣いてる動画を見たことがありませんか。

 

60年も通すか通さないかなんてやっていたらしい。

 

60年たって今、橋がかかるらしい。

 

 

 

大学の入学式が5日なので、開通式のためにそうそうに帰省することになるのはちょっとおもしろい。

 

複雑な気持ちでいる。

 

私にとって18年間離島に住んでるのは当たり前の生活で、まあ不便かなと思うこともあったけど特に島を出たいと思わなかった。

 

というか最終便が7時なおかげて夜遊びもせずイイコに高校生を終えようとしていることに関しては本当に感謝している。

 

 

風が吹いたら船は止まるけど、鹿が突っ込んで止まる東北本線とか落ち葉で止まったりするのとかと大差はないのでは?

 

 

少し前に島にコンビニは欲しいか否か、という議論をしたことがある。

 

私以外みんな欲しいと答えたけど私はいらない。

 

夜中に行ける距離にコンビニがあったら絶対におやつを買いに行ってしまうし、そうしたらお金はなくなるし絶対に太る。

無くても今困ってないからいらなくないか、

 

 

特に何か新しいものが欲しいとかは無いけど、SEVENTEENアイスの自動販売機は欲しいかもしれない。

 

 

非日常的で、真っ暗な夜を求めて都会から来る人がいるのに24時間営業のコンビニエンスストアなんか作ったら本末転倒どころかお先も真っ暗な気がする。

 

 

島だからという理由で参入できなかった企業が店を出して、観光地ワンチャン一獲千金でテキトウなカフェを立てる。

 

そうしたら観光客が来そうだから駐車場を作る。

 

都会になって欲しくない

都会のまねなんかして欲しくない

手頃な観光地として消費されて欲しくない

 

 

ただの観光地として消費されるくらいなら大島地区を閉じた方がいいとすら思っている。

 

 

それでも決まり切った架橋というものが、島民の生活を豊かにして幸せにしてくれると願っている。

 

これは60年間願い続けた人の結果であることに変わりはない。

 

私が今どう足掻いたところで橋はかかる。

ダイナマイトで爆破にでも行けば話は別だろうけど。

 

 

「島」でなくなってしまう大島が、「島」であり続けるための在り方とはなんでしょうか。

 

瀬戸内海の島々に勉強にいきたいナ、

 

 

 

60年の人の願いを無下にしたい訳では無い。

急病の患者を早く運べるのも便利に移動できるのももちろん船より橋なことくらい分かる。

 

それでも島に生きてきた歴史を閉じるということの、重みが辛い。

 

 

なんて言ったらいいかわからない。

 

それでも、変わりゆく私のふるさとがふるさとでなくなってしまう気がしてかなしい。つらい。さみしい。

 

 

実はもうすでに私の育ったふるさとは無いに等しい、

 

津波で根こそぎ抉り取られた家の基礎がそのままポツポツと残っていて、

その上に生い茂った外来種の草。

 

毎年黄色い毒々しい花をつけている。

 

 

地盤沈下で沈んた作業場跡

先が沈んだ堤防

浮いたままの歩道のブロック

ホテルの庭の池だったところ

いつまでも仮の土嚢でできた堤防

なくなった砂浜

誰もいなくなった近所

 

あたらしくアスファルトが敷かれても、何千台トラックが行き来しても私の中では復旧すら終わっていない。

 

復興どころか復旧すらしていない。

元に戻らないままで8年も生きている。

 

元あった姿にすら戻っていないのに新しいものを与えられても受け入れられない。

 

 

知らない間にどうしようもない力でふるさとが変えられていくのをただ見ていることすら出来ない、

ことが、1番辛い。

 

 

今すぐに橋を爆破して、偉い人を人質にとってお金をもらって全部全部元通りになんてできない。できるわけが無い。

 

 

60年前の人が何を願ったかなんてもう誰も最初のことは覚えてなんかいないだろうけど、

分かってる、

 

悪くしようとして橋をかけようとしたんじゃないことくらい。

 

 

それでも間違いなく良くも悪くも島に大きな影響を与えることになる、その橋を未だに直視出来ずにいる。

 

 

私は私のふるさとすら救えていない。

 

救うなんておこがましいかもしれないけど、今が無くなってしまうのをただ見ていることは確かだと思う。

 

 

掴もうとしたものがもともと煙でできた幻想だったみたいな気持ちで、

 

私の守りたかったふるさとはどこにいったんですか。失ったものはいつか帰ってきますか。

 

 

死んだ人は帰ってこないけど、消えたふるさとはいつかこの手に戻りますか。

 

 

消えそうなふるさとは、その息をいつか吹き返せますか。

 

 

かなしい。つらい。さみしい。もどかしい。歯がゆい気持ちだけが走って行ってしまって

 

肝心の手も足も出ないまま蹲ることしか出来ずにいる。

 

 

私がどんなに勉強してどんなに頑張っても3000人のふるさとは救えないかもしれないそれでも、

 

あがけるだけあがきたい。

私だけはやりたい。

私だけはふるさとを捨てたくない。

 

 

その気持ちだけでやれるよ、あたし、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰に何億払ったら、フルサトは、かえってきますか、