もし
もしっていうのはイフの方ですねもしも、の方
その話をしようと思ってここを開いたのですが、その前に今日の模試の話をしますね
マークのやつって英検とかの丸いタイプと四角いタイプあるじゃないですか。
あの四角いタイプ超キライです。
とにかくマークが苦手。すごく。
自慢じゃないけど志望校判定でマークミスで読み取り不可、センター模試でマークミスでかなり落とした。
センターもぐりぐりの丸い方になんねえかな
今回は記述模試だったんですけどね。
もうなんか生物ガチってたのに夏緑樹林書けなくて辛いけど数学はとてもがんばった(当社比
以上です。次から本題です。
もしもあの時あれを言わなかったらとかあれをしていたらっていうシリーズ
とてもとてもたくさんある。
そうですね、もしもあの時親と先生の反対を押し切って宮城野受けていたら
もしもあの時引っ越さずにあのまま栗原にいたら
もしもあの時もう一歩飛んでいたら
だとか、なんとか
結局もし、って思うのはすべて過去の話で後悔である。
話の途中なんですけどいまだ母親に言われたこといいますね、なんだか首の皮がとても伸びたので見せたら弟もめちゃくちゃ伸びて「おめーらゴムの木か」って言われました。木。
話を戻すと、もしもって言うのは大抵はどうにもならないことで
今更言ったってどうにもならないことで
それでも、もしあのとき、って言ってしまう
きっと多分生きていて後悔しないことなんて不可能なのだろうけど。
終わったことは変えられないしどうにもならない。過去を悲観して後悔して恨んだところでどうにもならないと最近悟った。
それでどうだっていうのはあんまり無いけど
気の持ちようというか、その、
大丈夫だろ、だとかなんとかなるだろ、
起こってしまったことはどうにもならない
犯した過ちですら。
まだ記憶にあたらしい。
そういうネタが多いですけど人格形成がなされる小学校高学年頃の出来事だったので許してください。
あれはきっと起きなければみんな死ななかったに何も失わなかったけど
まあ起こってしまった。
私も起こらなければよかった前の暮らしの方が良かった絶対に前の方が良かったんだと考えていた時があったけど
それじゃどうにもならないなと。
だってどう頑張ってもなくなったもの達は帰ってこない。
だったらいつまでもメソメソしているよりも東日本大震災のために世界中のひとたちがくれた恩恵をめいっぱい受けて生きていきたい。
最近夜電話していると(誰とは言わない)東日本大震災以前の港のターミナルの映像が頭の中で流れる。
とてもとても懐かしくて、あの待合室のベンチでのんだオロナミンC
とっくの昔に忘れていたと思っていたあの景色が鮮明に浮かんで、それどころか毎日新しいことを思い出す。
2回の入口、庭のモニュメント。
後悔していない訳では無いのだとおもうけど
でも今楽しい。気仙沼にはとてもたくさんの愉快な移住者が来ました。
前はなかったクリエイティブな魅力がある。
と、
うだうだと考えているうちは後悔をしてもし、を考えているのだろうけど
私は起こったことのたいていはいいように捉えて糧にしていけるような人になりたい。
小学生
中学2年の1年間、7つしたの小学校1年生の女の子達ふたりと学校に行ってました。
幼なじみの元JL君の妹とその友達なんですけど。だいたい妹。
毎朝待ち合わせして学校まで20分くらい歩いてる言ってました。
あんなに小さくて純粋すぎて、
どっちが手つなぐかで喧嘩してたような子たちが、今5年生。
ごねんせい。
なんかもうね、身長もこされそう。
地元で割と有名なマラソンのスタッフにいったらわらわらそんな小学生がたくさんいて
自分は全然変わってないのに時間はすぎてるんだなあと思いました。
要請でキッズコンサートの手伝いに行った時にうっかりきなこと名乗ってしまって以来5年くらいきなこババアって呼んでくる奴らはマジで5年後後悔しろ。させてやる。
クソガキ真っ盛りの小学生たちにメガネウーマンっていわれるけどなんのdisりにもなってなくてひたすらにかわいい。
自分が小学生だったときこんなクソガキだったか、と思い出したけどたいそうなクソガキでした。
多方面に謝り倒したい。
小6のとき担任だった恩師によく会うけれど申し訳なくて仕方ない。本当に。
ステージ
ステージに立ってスポットライトが浴びたい。
夢でした。否、夢です。
本当は歌って踊れるアイドルになりたかったし、アニメとか洋画に声を吹き込む声優になりたかったし、舞台で別人になりきりたかった。
ばかなはなし、
たとえそういう進路に決めて進んだととしても生計が立てられている人はほぼいないし、たとえ何かのきっかけがあって売れたとしても食べれるくらい働いたのならきっと疲れきってやめたくなってしまう。
私が歌が下手くそなのはご存知の方がいるでしょうね。くそ音痴です。救いようがない耳が悪い。
この前歌の上手い人に教えて貰って初めて知ったんですけど、
混声二部合唱とかなんとか、デュエットとかみんな声が聞きわけられるらしいですね。
某7人組王子アイドルユニットがすきでよく聞いているんですけど、さっぱり。
誰が歌っているかくらいは2人までならわかるけどそれ以降は誰だなわからない。
7人で歌われるよ「そういう声」に聞こえる。全部合わさっている声。
っていったらは???なんでお前声優好きなの???とか言われてしまって自分でも分からない。
みなさんそんな耳がいいんですか…
そう言えば小学校低学年の頃に受けた音楽の聞くテストで、「ポーーン 、この音を答えなさい」って電子ピアノの音を鳴らされて音階を答える問題があったのを覚えている。
馬鹿じゃねーのそんなの分かるわけないだろって思ってたらまわりのみんなカリカリ書いていて焦った。思い出すとうちのクラスにはピアノやってるひとがたくさんいたけれども。
音痴なのは自覚しているし下手くそなのもわかっているが、合唱でだんまり口パクなんてことはしてはいけないと思ったので、
家でめちゃくちゃ練習してヘタクソなりに歌えるように頑張った中学の頃の合唱で
めちゃくちゃバカにされて笑われてしまった。
音が外れていたら名指しで怒鳴るような先生だったし、音取りもしてもらっていたのになぜだろか、いまだに解せない。
ただ単に嫌がらせだったのだろうか、とかなんとか。
文化祭の劇で主役をやった。脚本は私が書いた。
裏でコソコソ言ってたの気づいていましたよ私。
そんなこんなで人の前で何かをするのが怖くなるのなんて自然なことでいまだに合唱は大嫌いです歌えない。
歌えない、演じれない、
それでもステージに立ちたい。
残ってたのがプレゼンでした。それだけです。
残された唯一の道ですから、そりゃ命かけてやるでしょう。
快感でしかない。あの、オーディエンス全員がこっちを向いてるとき。問いかけに頷いてわらうなんて。
一瞬で私の世界がつくれる。
プレゼンだけは頑張りたいやめたくない。
戯言です。
春だ
もう春だ。
中学三年の夏に親と雰囲気に流されて高校決めてから3年がたってしまう。
本当にここに来てよかったのかとかは最高学年になった今もよくわからない。隣の高校の実習がうらやましかったりもする。
進路うんぬんはここでなくともなんとかなったような気がしなくも無いし、
こっちにきて勉強で苦労はかなりしてるけど
なんだろう、
もう後戻りとかは一切できないし
やれるやりたいそんなことが見つかったような気もするし
これでよかった気がする。
そう思うことにしたのこのまえ。
結果的にいま割と幸せである
じゃあ良くないか、
さっさとAOで受かってバイトするのが今年の目標というか計画です。
敵に塩を送るような優しくもない人間なので教授から聞いた入試関連はの話は私の中に留めておきます。ごめんなさい。でもオープンキャンパスは必ず来なさいって言ってましたこれだけは。
本当のことを言うと今すぐ私を構成している原子が全部バラバラになって空気中に散って消え去りたいくらい不安だしAOなんか受かる気しねえし正直不安要素ばっかり、
投げた企画に対する罪悪感とか高校の統合に対する不快感とかだれかに対する劣等感とか、
きりがない。
よくわからないけど泣きながら薄暗い道40分歩いて帰る。
1日生きたご褒美にツルハでグミかルマンドを買って帰る。
まだ生きているので頑張れるんですよ、わたし
あんまり先のことはわからないので目の前のことをコツコツこなします。
今年は平常点は満点取れるようにします。
ブログをかくということ
そういうイメージがあるじゃないですか、
有名人のブログしか意味無いみたいな
でもそうじゃない気がするんですよね
このブログのタイトルは備忘録ですし
かきたいからかくみたいな。
中学時代書いていたブログがなぜかヒットしていた理由を今考えると、
きっとたぶん思ったことをそのまま書いていたからとか
ただ単に女子中学生に対する好奇心とか
それとも同サイト内で共感を集めたとか。
何が言いたいかというと思ったことをそのままかけるって言う点でブログってのはいいんじゃないかと。
日記と何が違うかは人に見せるものなのである程度まとめようとすることとか、
語り口調だったりとかするところとか、
日記は無くしちまえば終わりだけどネットなので半永久的に残る。これは良き悪きもあるけど
あと日記って人に見せれない。
ひとのブログとか日記とかみるの大好きなんですけど、あんまり日記って見せてもらえない
みんなブログかけよ
そして感じたこととか思ったこととかもっと共有すればいいと思う
弟よ
あんまりこういうことあんまりいわないですあんまり。
けれど明日2個下の弟が高校の入学式で、
なんとなく感慨深いなと思ってこんなタイトルにしました。
中学三年間めちゃくちゃ超思春期の弟と口をききませんでしたが、中学卒業した瞬間歩み寄ってきて姉は嬉しい。
今年の東北大会に参加した方々にはお分かりいただけると思いますが、あのおばあさんの美脚のやつ。
我が家で唯一足が長いし痩せてる。(やせすぎ)173センチもあるくせに50キロちょっとしかないガリガリで、
そんなやつが来年から、水産高校に通うらしいです。
大丈夫か、折られないか。
個人的には相撲部に入って30キロくらい増量してもらうと安心なんですけども。
本人はバドミントンだかにはいりたいとか。
お前ラケットより足細いやん。
お夕飯のあと制服を着てみた弟がコスプレにしか見えなくてめちゃくちゃ面白くて、
馬鹿な母姉なのでブレザーの中に入ってるあの硬い白い紙に落書きして腹筋にしてみたり
とにかく高校生になる弟が楽しくて仕方ない。
日々奇行で姉のTwitterのネタを提供してくれます。
ここ7年ほど仲が悪かったんですが、弟が中学卒業してちょっと仲良くなったっていうブログです。
高校二年生
はやくも新年度が始まりましたね。
類型の前にクがつくクラスに通うこと1年。高校生活は後1年。
1年間よく生きたわたし。
4月からバチバチにフィールドワーク行ったし研究で走り回ったし、
仙台去年以上にたくさんいったし
山形、岩手、鹿児島、東京、あと台湾。
イベントだとDrinksはいっぱい内2回ゲストスピーカーとか、ぬま塾、まちづくりカフェ、海と山の学校、マイプロ語り合おうとか、あと自分のワークショップとか
泊まりだと、芸工大のアイディアキャンプ、東北大会、アトリエサマーキャンプ、台湾研修、鹿児島。それと三月末に底上げ報告会で東京。
毎週末忙しいのがとても楽しい。
すきなことやるのスタンスは今年以降できたら一生崩したくない。
新年度の目標ってわけじゃないけど。も、
この前高校に入ったばっかだなあと思っていたらもう高校三年生なんですね。
高校に入って私が変わったことってなんでしょうか。
数学が嫌いになったとか
短いスカートをやめて長いスカートを履くようになったとか
8キロ痩せたとか
そういうことではなくて、
じぶんが少し好きになった気がします。
あんまり言葉が上手ではないけれどこうしてブログというものをかいていて、
幾人かそれを読んでくれている人がいて、
友達が出来て、たいせつなひとたちができて、
きっとそういうことで、
みなさんありがとうございますってことです。
1年がんばれたのは紛れもなく私の大切な人達のおかげなので今年もがんばれます。