備忘録

備忘録をかねたアウトプット

フルサト

2019年4月7日、気仙沼大島大橋が開通する。

 

いつかの全国ネットでしわしわのおじいちゃんが「生きてるうちに通ってよかった」って泣いてる動画を見たことがありませんか。

 

60年も通すか通さないかなんてやっていたらしい。

 

60年たって今、橋がかかるらしい。

 

 

 

大学の入学式が5日なので、開通式のためにそうそうに帰省することになるのはちょっとおもしろい。

 

複雑な気持ちでいる。

 

私にとって18年間離島に住んでるのは当たり前の生活で、まあ不便かなと思うこともあったけど特に島を出たいと思わなかった。

 

というか最終便が7時なおかげて夜遊びもせずイイコに高校生を終えようとしていることに関しては本当に感謝している。

 

 

風が吹いたら船は止まるけど、鹿が突っ込んで止まる東北本線とか落ち葉で止まったりするのとかと大差はないのでは?

 

 

少し前に島にコンビニは欲しいか否か、という議論をしたことがある。

 

私以外みんな欲しいと答えたけど私はいらない。

 

夜中に行ける距離にコンビニがあったら絶対におやつを買いに行ってしまうし、そうしたらお金はなくなるし絶対に太る。

無くても今困ってないからいらなくないか、

 

 

特に何か新しいものが欲しいとかは無いけど、SEVENTEENアイスの自動販売機は欲しいかもしれない。

 

 

非日常的で、真っ暗な夜を求めて都会から来る人がいるのに24時間営業のコンビニエンスストアなんか作ったら本末転倒どころかお先も真っ暗な気がする。

 

 

島だからという理由で参入できなかった企業が店を出して、観光地ワンチャン一獲千金でテキトウなカフェを立てる。

 

そうしたら観光客が来そうだから駐車場を作る。

 

都会になって欲しくない

都会のまねなんかして欲しくない

手頃な観光地として消費されて欲しくない

 

 

ただの観光地として消費されるくらいなら大島地区を閉じた方がいいとすら思っている。

 

 

それでも決まり切った架橋というものが、島民の生活を豊かにして幸せにしてくれると願っている。

 

これは60年間願い続けた人の結果であることに変わりはない。

 

私が今どう足掻いたところで橋はかかる。

ダイナマイトで爆破にでも行けば話は別だろうけど。

 

 

「島」でなくなってしまう大島が、「島」であり続けるための在り方とはなんでしょうか。

 

瀬戸内海の島々に勉強にいきたいナ、

 

 

 

60年の人の願いを無下にしたい訳では無い。

急病の患者を早く運べるのも便利に移動できるのももちろん船より橋なことくらい分かる。

 

それでも島に生きてきた歴史を閉じるということの、重みが辛い。

 

 

なんて言ったらいいかわからない。

 

それでも、変わりゆく私のふるさとがふるさとでなくなってしまう気がしてかなしい。つらい。さみしい。

 

 

実はもうすでに私の育ったふるさとは無いに等しい、

 

津波で根こそぎ抉り取られた家の基礎がそのままポツポツと残っていて、

その上に生い茂った外来種の草。

 

毎年黄色い毒々しい花をつけている。

 

 

地盤沈下で沈んた作業場跡

先が沈んだ堤防

浮いたままの歩道のブロック

ホテルの庭の池だったところ

いつまでも仮の土嚢でできた堤防

なくなった砂浜

誰もいなくなった近所

 

あたらしくアスファルトが敷かれても、何千台トラックが行き来しても私の中では復旧すら終わっていない。

 

復興どころか復旧すらしていない。

元に戻らないままで8年も生きている。

 

元あった姿にすら戻っていないのに新しいものを与えられても受け入れられない。

 

 

知らない間にどうしようもない力でふるさとが変えられていくのをただ見ていることすら出来ない、

ことが、1番辛い。

 

 

今すぐに橋を爆破して、偉い人を人質にとってお金をもらって全部全部元通りになんてできない。できるわけが無い。

 

 

60年前の人が何を願ったかなんてもう誰も最初のことは覚えてなんかいないだろうけど、

分かってる、

 

悪くしようとして橋をかけようとしたんじゃないことくらい。

 

 

それでも間違いなく良くも悪くも島に大きな影響を与えることになる、その橋を未だに直視出来ずにいる。

 

 

私は私のふるさとすら救えていない。

 

救うなんておこがましいかもしれないけど、今が無くなってしまうのをただ見ていることは確かだと思う。

 

 

掴もうとしたものがもともと煙でできた幻想だったみたいな気持ちで、

 

私の守りたかったふるさとはどこにいったんですか。失ったものはいつか帰ってきますか。

 

 

死んだ人は帰ってこないけど、消えたふるさとはいつかこの手に戻りますか。

 

 

消えそうなふるさとは、その息をいつか吹き返せますか。

 

 

かなしい。つらい。さみしい。もどかしい。歯がゆい気持ちだけが走って行ってしまって

 

肝心の手も足も出ないまま蹲ることしか出来ずにいる。

 

 

私がどんなに勉強してどんなに頑張っても3000人のふるさとは救えないかもしれないそれでも、

 

あがけるだけあがきたい。

私だけはやりたい。

私だけはふるさとを捨てたくない。

 

 

その気持ちだけでやれるよ、あたし、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰に何億払ったら、フルサトは、かえってきますか、