備忘録

備忘録をかねたアウトプット

中学生の頃の話

人生で1番悲しかった今思い出しても辛い中学生の頃の話。何故かふと思い出したので記録に。

 

いろんな不幸が重なってしまって本当に私の心が死んでいた時期でした。

両親の不仲と祖母がボケ初めて家に居場所が無いし、学校も友達が一人もいない所かボコボコに干されていたので本当に生きてていいと思える場所がなかった。

 

唯一息をしていたのがインターネットでした。

インターネットで同じような境遇の子たちと集まっては今日の不幸話をしていた。

今日の無視された回数、親から怒鳴られたこと、リストカットの深さ、飲んだ薬の数。

 

本当に生きる望みがインターネットしか無かった。

1年の頃の副担任が気にかけてくれてたのか、連絡とってくれたりしたけど、そういう人の辛い時いつでも相談してな!は本当に聞くだけでなんの解決もしない。これがつらいって言っても「おれもそんなもんだったけどな笑」おしまい。

大人を信用するのをやめようと思った。私からあれこれ聞き出して親に報告するつもりなんだろ、なあ。

 

今思い出しても辛い。本当に味方が一人もいなかった。

どこかほかのコミュニティがあれば良かったんだろうけど、それも無かった。わざわざ島外に出てまで通っていた道場も部活を早抜けしなきゃいけなかったからそのせいでまた干されるので辞めた。辞めたくなった、そこの人たちは私の事無視しないので。

 

中学一年生の時、年間の欠席日数が29日だった。文部科学省の定義では30日以上が不登校扱いになるらしい。

学校をお休みする度ままがブチ切れていたので、それがなかったら余裕で不登校でした。

 

親は毎日喧嘩してるし、父親は不倫疑惑。その頃は母親のヒステリーが酷くてよく私物全部捨てられたりして、家に帰ったら部屋が空っぽだった。私の腕を見てみっともないって言った。学校に行けない私に「お前みたいな不良品誰も要らない」って言ってビンタされた。母親と仲良しになった今も時々思い出してダメになる。不良品ってずっと言われて、結果ADHDでしたなんで面白すぎる。本当に不良品でしたよ。お母さん。

 

毎日朝が来るのが怖くて、部屋の天窓から朝日が差し込んでくるの見て絶望してた。

あのころのリストカットの傷が今も消えません。両腕にびっしり。今も仕事中に子どもたちからこれなに!?って言われてフラッシュバックする。

自分の意思で自分の腕切ってたんだから全て自業自得と言えばそうなんですけど、誰かに止めて欲しかったな。誰か私の腕を見て泣いて欲しかったな。

 

私の腕に包帯を巻いてくれたのは2年と3年を担任してくれた先生だけでした。抱きしめてくれたのも先生だけでした。本当に先生がいなかったら死んでいた。中学生の頃信用していた大人は本当に1人だけだった。

 

 

あんまり深く思い出そうとすると脳にモヤがかかったみたいになる。

 

それなのに何故か生徒会入って部活でも唯一県大会行って、成績も学年1位で賞状とかも貰ったとか余計みんな私の事気に入らなかったんだろうな。先生たちから贔屓されてる自覚はあったし。私のそういうところがみんな気に入らなかったんだろうな。

 

私側にも落ち度があったんだなと今なら思えるけど許してないからな。同級生全員親も。あの頃がつらすぎて今も親のことで心の底に泥がある。

 

成人式の後の同級会にいくのが嫌で先生に電話したら、みんな大人になってるから!って言ってた。大人になってたとしても、全員忘れてたとしても私の中学時代もそこでおかしくなってしまった精神も傷の無い腕ももう戻ってこないんだわ。ごめんね。ガキでごめんね。

 

今やっと病院に通うようになって病気ですね。って言われて薬飲んでるけど、この状態なのもう10年くらいなんですけど!(笑)

こんなにしてくれた人の事許せるわけないよ。

今も夢に出て私のこと迫害してきます。許してないよ。

 

辛くなってきたので寝ます。