備忘録

備忘録をかねたアウトプット

希死念慮

死ぬことしか希望がない19年間だった。

お前なんかいらないうちの子じゃないと言われ続けた幼少期から私は早くここから居なくならなければならないと思っていた。

死ぬことだけが救いだった。

 

今年で20歳になる。同い年の友人に息子ができた。それはそれは目に入れても痛くない程可愛がっている。

 

書いていて辛い。

 

小学3年生の頃にママがわたしのこと嫌いなら明日家を出ていきますとの旨を伝える手紙を書いた。

頑張っているの知っているよとか、怒りすぎてごめんだとか、これからはもっと褒めるねとか書いた手紙が帰ってきたがその内容がひとつでも実現された記憶が無い。無い。

相変わらずぷつ、と言ってしまうと罵詈雑言の嵐。私が高校時代1番頑張っていたこと、ひとつも理解していなかった。張り切ってテレビに映った時だけ録画するな。興味無いくせに。

 

少し大人になってわかるけど、未就学児にお前は橋の下で拾ったって言うのはあまりに告だ。私の生まれた直後の写真を見せてこれはあんたじゃないから。

歳を重ねれば重ねるほど理解ができない。

 

 

大学辞めて何がしたいの?と鬼のようにLINEがくる。

東北芸術工科大学デザイン工学部コミュニティデザイン学科を空で言えない程興味が無いくせに辞める時だけ言及が厳しい。

どうせ興味無いくせに

 

弟の野球の大会で沖縄に行った時私一人家に置いていった。

私のために着いてきてくれたことなんか1度もないのに。

 

しんどい辛い辛い親に感謝しなさいとかそれがお母さんの愛情だとか言われる度にわたしが親を愛せないクズだクズだ屑だと思って今すぐ死ななくては行けない気持ちになる

どうして愛しているなら抱きしめてくれなかったんだ。