死に急ぎ野郎
また2018年も生きてしまったらしい。
生きている実感が持てるのは少ない時間だけど、それでも生きていたとかんじる。
Facebookしか振り返れるものが無い。フォーサイトもあった。
1月に自主企画としてはワークショップを開催したり、気仙沼市の防災フォーラムで登壇者として話したりもしたのに、課研最終発表会でインフルエンザになるという戦犯。
2月には鹿児島訪問と「島へ。」の報告会。地元への貢献に自分ながら賞賛したい。
バレンタインデーで激モテ。
3月は気仙沼にきたインターンにきた大学の先輩とお話したり。東京ツアーでマイプロ全国大会の見学と底上げ報告会に出たり。
4月はひたすらに部活が上手くいかなくてほんとうに辞めてやろうかと思っていた。最後まで上手くは行かなかったけど。
5月。ゴールデンウィークに社会福祉部でボランティア研修会を企画。相方にも講師で来てもらう。芸工大のオーキャン。焦り始めた。日本史の朝課外に出始める。人生でランキングに入る大戦犯を犯して死にかける。
6月の記録がない。AOに向けていろいろ始める。協力してくれた先輩ありがとうございました。大好きな相方の誕生日に2年連続時計を贈るミス。エムズに出没する。
7月から面接練習を始めた。相方がこない芸工大のオーキャン。島の海の家でバイトを始める。久々に児童館でぼっちボランティアをする。
8月はとても楽しかった。課外に行きながらバイトをこなす。SUMMER IDEA CAMPのメンバーがすき。ジュニアとして最後の活動の宮城っ子にいく。たまに文化祭の準備をした。文化祭の合唱コンクールでみんなが優しくて泣いた。エントリーシートが書けなくて教室で泣きわめく。
9月1日に文化祭。はじめて友達がいたのでたのしかった。12日に受験、21日に合格発表。合格発表の日に友達とゲーセンで発表を待つ。受かったことを報告せず、落ちた疑惑がでる。デザセン決勝にのこる。例大祭。
10月は山形。マイプロ東北カイギ、スクーリング、デザセン決勝。山形に5泊した。デザセンは市民賞。
各準備やらで友達に迷惑をかけながらも走りきる。よく生きた。誕生日に水族館に連れてってもらう予定が、松葉杖できた奴がいてバチバチにけんかする。仕事のできない運動祭実行委員をした。過呼吸起こしながら課研の最終発表会にでる。
11月の記憶が無い。多分テスト。コンポジウム気仙沼2018に高校生代表として呼ばれて登壇。べた褒めされる。チラシ作り教室とやらに誘われていってみた。たのしかった。友だちとすきやきをする。
12月も気づいたら終わっていた。ビジコンが決勝に残りプレゼン。最優秀賞をとる。友達と後輩のマイプロにちょっとずつ協力する。スクーリングが近づき課題に焦る。気仙沼マイプロを辞退し、母とハンドメイドで店をやる。イオンの成果コーナーでバイトを始める。
まあまあ充実していたのではないでしょうか。
最近はデザセンとビジコンのプランを実行するためにコソコソ進めています。
振り返るもクソもなくその場その場ガムシャラで生きてきました。全力で走って転んで這いつくばって2018年も生きて来ました。
きっと来年も這いつくばって惨めに泥水を啜りながらも、しぶとく卑しく生き続けるのだと思います。
人間、卑しいくらいが人間くさくてわたしはすきです。
私はわたしが大好きだし、大嫌いです。全部好きになることは多分ないけど、18年生きていちばん自分が大好きな年でした。大嫌いになった年でもありました。
私の出来ないこと、苦手なことを痛感する1年で、とってもたくさんの人に迷惑をかけました。
それでも例年と違うのは今年はクラスにちゃんと友達が出来ました。
文化祭も運動祭も放課後の寄り道もテスト明けのゲーセンも、世界が滅んで欲しいくらい悲しい気持ちの時も、パニックを起こして浅息ついている時も、一緒にいてくれた友だちに感謝してます。
そして相も変わらずこんな私と一緒にいてくれる相方には、感謝してもしきれないです。今年もその先も相方でいてもらわないと困る。2018年は私がキレるという新しい戦争方法が出来ました。平和に生きましょうね。
わたしは、もっと欲にまみれて、世の中の並にに翻弄されながら、がむしゃらに2019年もわたしを生きていこうと思います。
不格好でも無様でも惨めでもいいです。
実際来年から貧乏学生なのでみんなと同じようにご飯も服も買えなかったり、外食にも行けなくて付き合いが悪いって惨めな思いはすると思う。でもそこで学ぶと決めたのは私なので、覚悟を決めるしかないです。
死なないくらいにわたしなりに頑張ります。
たまに落ち込んでたらタピオカかじゃがりこ奢ってください。