好きこそ
物の上手なれですか?それとも好きの横好きですか?
わたしはどちらでしょうか。
隣の席の友達が音大を目指して勉強しています。
私は音楽のことはあまりよくわからないけどとっても歌もピアノもサックスも上手いです。
ときどきぽろっと、
「世界の民謡を生で聞く旅に行きたい。コンサートをひたすら聞いて回る旅行がしたい。」
って言います。
それを聞いた時は、彼女は音楽が好きなんだなとしか思わなかったし、クラシックだけじゃなくて民謡とかにも興味あるんだなあとしか感じなかった。
大学から出された課題のために地域人という雑誌を最近よく読んでいる。
日本各地の地域のための新しい取り組み、美味しいお酒、美味しいお米、肉、さかな、温泉、豊かな自然、魅力的なゲストハウスと旅館、人柄、イベント、風習、気候、おまつり、
全部見て回って食べて、話してきたいと思った。自分で見に行きたいと思った。日本だけじゃなくて海外のランドスケープデザインも勉強しに行きたいと思った。
ここで気づいたのが、隣の席の友達と同じだったということ。
彼女は音楽が好き。私は‘ 地元’ がすき。
なあんだ簡単なことかと思ったけど私は彼女のようにピアノは弾けない。サックスも吹けない。
私のすきに対する物の上手なれの物がわからない。上手かどうかを図る定規を持っていない。
横にズレているだけかもしれないのかもしれない。
放課後用があって担任と喋ったら2年ぶりくらいにまともに褒められました。(3年間担任)
虫の居所がよかったのか。
あんたは高校生活ほんとに楽しんだね。ほんっとにいろんなことやったね。来年からも楽しみだね。気が向いたら帰ってきてください。
ちょっとビックリしすぎてしばらく気持ち悪いしか出てこなかった。
褒められるなんて思ってなくて、むしろバイトの件でおとがめ?とか思っていたのに。
心底に気持ち悪いしどこかがかゆい、
褒められなれていない。
縦に伸びますか、横にずれますか。
それは私次第であって、人に問うものではなくて。
コミュニティデザインの本を読んでいると悲しくて悔しくて泣きそうになる。
デザセンのニコ生の画面に一瞬流れた汚染の文字が頭の中で反芻されている。
地元を胸張って誇れない自分が悔しい。気仙沼ばかりいて島に還元できていない自分が恥ずかしい。
島うまれ、島育ち。
わたしは縦に伸びますか、
わたしは好きなことで生きていけますか、