レモン愛歌
高村光太郎せんせいの代表作にレモン哀歌っていう詩がある(と思っている)
精神を病んだ妻が、檸檬をかじったその瞬間だけ正気を取り戻して、二言三言かわして死んでしまうっていう詩
好きな詩のベスト10に入るくらい好き。
現代文Bで読んだ小説にも檸檬って話があった。ふらふら酒に酔ってるのか夢なのかわからない中歩いていて、八百屋で目に止まった檸檬をかって齧る、
たしかに酸っぱいから目が覚めるのかなとも思う。
関係ないけどかむかむレモンたべると顔中から汗が吹きでる体質です。
なんでレモンの話をしたかってなんとなく思い出したからです。
高校受験の面接で最近読んだ本はなんですか、と聞かれ智恵子抄ですと応えた中学生です。
今回の現代文Aのテスト範囲は三島由紀夫メインです。ごりごり恋愛小説。
三島由紀夫の白鳥と伝説読んだんですけど深読みすればするほどどエロいですね。いかにも、って感じで嫌いじゃないです。
今日の現代文Aの授業の中でクラスメイトの男子が「偶然って思い込みだなあ」って言っていたのを聞いてとても感動した。
偶然も奇跡もたぶん、思い込むことによって補填された日常でしかない。
なるほど?
きっとこれは運命と思った人もことも、
言ってしまえばこじつけかもしれない。
思い返してみて。自分の頭の中。
世の中の奇跡とかなんとかぜんぶ結局因果応報的なものだったり来るべきところに来ただけだったりする。
某バレー漫画でもチャンスは準備された心に降り立つ、みたいなことを読んだ。
神だ仏だっていうものをないがしろにしている訳では無いし、全く信じていない訳でもない。
(むしろ仏壇に関しては遠出する前は必ず挨拶する)
改めて偶然って思い込みだな。
思い込むことをしてまでも、それを美化なり、装飾するなりしたいくらい、
素晴らしいひとやことに出会えたともとれる。
運命だったかもしれないと思い込む、のもいいのかも知れない。
なんでもっと早く知り合えなかったんだろう。もっと早く知り合いたかった。
そう言われた。誰とは言わないけど。
確かにきっと、もっと早く出会えていたら犯さなかった過ちを指折りで今数えたけど
2年前の夏でよかったとも思う。
きっと中学生の私はだめだめすぎたし、向こうもそうだと思う。
結果的に高校生活のほとんどを共有した。
同じ学校に通っていた訳では無いし、近くに住んでいた訳でもないけど
高校の思い出はなんですか、という質問に対して登場せざるを得ない。
歯が痛くてセンチメンタル。
許してください。
もし運命とか奇跡とか思い込むのであれば最善だったのだと思いたい。
紆余曲折、堂々巡りを繰り返してきた気がしなくもないけど
高校生になって2年半、
運命的な出会いと奇跡を積み重ねて今生きていると思いたい。
すくなくとも中学1年生の頃の自分より、今の自分がすき。
レモン味のぐみを舐めながら、来年からのことを考えていた。
新しいがいっぱいな大学生活を夢見ている。
高校がそうであったように案外知り合いが多いし、いつのまにか慣れていってしまうような気もする。
一人暮らしに浮かれて見ていた新しいカーテンのカタログとか、イオンに行くたびに見てしまう食器たち、冷蔵庫、洗濯機。
ママあのね、一人暮らししてもオーブンがほしい。とか
そんなことよりも、
AO試験で見た顔が全部揃っている確証がないとか、なんとか
レモンのぐみのせいかどうかは知らないけど。
しまい忘れた扇風機を眺めて思った。
きっと今よりずっとずっと自由になるんだと思うと虚しい。
島というぬるま湯の中で生きていた世界の狭い人間が、いきなりなんの制約もない世界で生きていけるのだろうか。
まず受かる受からないの心配を、ままも担任も誰もしていないので私くらいしようと思います。
来週寿司?ケーキ?肉?ときいてくる母と、受ける大学の名前すら覚えられていないのではないかという父が同席する食卓がシュールすぎるのでやめくれませんか。肉がいいです。
歯が痛すぎて脳みそがじわじわと蝕まれていくような感覚になる。
魚の神経をとるどうか分かりませんかあれ。あれを歯でやってそこに詰め物をするんですよ。ほら、いたい。