あえて地元を批判する
その前にtwitterで報告してもないのにアクセスあるのってなんですか。定期的に見に来ている人がいる…?
本題、
あえて地元を批判するということ。
大抵の大人が地元が好きだとか地元愛だとか言う言葉を使うけれど、最初からそうだったとは限らない。
地元っていうのは若い中高生にとって煩わしいものの場合の方が多いともう。
私もそうだった。クソ島めこの野郎沈めとか思っていた(言い過ぎ)
でもそれって言うのは地元っているぬるま湯に嫌気がさして都会に刺激を求めている場合が多いんじゃないか。
高校に入ってよく聞く、「高校に入って地元の良さに気づきました!気仙沼だいすき!」みたいな人たちも
最初はこんな田舎の港町ではなく、都会のコンクリートの中でオシャレに生きたいと思っていたはず。
たしかに“ こんな田舎”だ。
スタバもマックもないし、遊びに行くとすればイオンかカラオケ。駅はもはや最寄り駅としての役割を果たしていないしシャッター街ばっかり。
ライブハウスも映画館も無い。高いビルもない。
さらに東日本大震災で甚大な被害を受けて沿岸沿いは工事中。土埃しかない。
人口減少率は国内でトップクラス。向こう30年で人口が今の60%にまで減る予測。
なのに出生数は300人。これからも減る。
アクセスしづらい位置にあって車で来るしかない。
もしくはガタガタすぎる電車。それもいったん岩手によらなきゃない。
そんなところの何がいいと思うのか。
なぜ私はこんなにもここにいたいと思うのか。
その理由がぬるま湯だと思う。
ぬるま湯という環境があるからこそ、自分で刺激的なことを生み出せるのだと思う。
今日会ったシティーガールが、
東京は誰かがつくった楽しいものはたくさんある。けれどもありすぎて自分でなにかしようとは全く思わない。
って言ってた。
たしかに。
ここには何も無い。だからこそ作ろうとするのかもしれない。
このぬるま湯はぬるい締りのない場所っていう意味ではなくて、
暖かい安心して生きられる環境っていう意味のぬるま湯な気がする。
このぬるま湯が好きだ。
改善すべき問題だらけでも、安心して生きられるこの地で、問題を解決すべく走り回る。
いちばん幸せな気がする。
いつも新しくいられる気がする。ないなら自分で新しく作ればいいのだから、誰かに与えられるだけではないのだから。
ただし多くの場合、そこがぬるま湯というのはその場所出身の人にとってだけ。
しかしこの気仙沼という地。
宮城県内でいちばん住んでいる外国人数が多い上近年移住しやすいと話題(だと思う)
なんでかって言うと港町で、もともと遠洋漁業の人達がたくさん来るので
外から来る人たちに対する抵抗が低い。
来る者拒まずどころか、来たらもう地元のために頑張れくらい、いい意味で図々しい。
こんなふうに考えられるのは地元が嫌いだったからだと思う。だからあえてまず批判する。そこから価値を考える。
それと新しくコンテストに出すプロジェクト始めました。
あやしいナリの女子高生がいきなり現れたにも関わらず優しくお話してくれた観光コンベンション協会の次長さん超いいひと。ありがとうございました。