備忘録

備忘録をかねたアウトプット

なんにも知らないくせに

何を言うの?

 

アホみたいなはなしですよね何も言ってないから知らねえに決まってんだよ馬鹿野郎

 

載せるか迷ったけれどどうしてもこのまま腹の中に収めておけない。

 

なんにも知らないくせに

お前に何がわかるんだ

 

 

中学二年から不登校になった幼なじみが言っていました。(以下A)

中学二年の始業式の日にいつもより時間が遅かったので

(私はいつも7時20分に学校につくくらい登校がはやい)

Aの通学路の道の曲がり角で遅刻ギリギリまで待ってた、けれども来なくて、

 

元々1年の頃からわたしと欠席日数トップあらそいする位には休んでしまうやつだったので今日はサボりかなとか思って

 

たのに、次も次も次も来なくてたまに来てもすぐにいなくなって、

その居ない間のノートやらプリントやらはぜんぶ私がが管理していた。

 

 

なのにどんどん来る頻度が下がって下がって下がって、なのに幼なじみでずっと親友だと思っていた私にはなんの連絡も無くて、

 

ああばかみたいだ。

私だけからまわっている、そんな気がした。

 

 

母から友達なんだから優しくしてあげなさい、って言われてどうも引っかかって「友達なの?」と言ってしまった時、人生でもトップ10に入るくらい怒られた。

 

でもほんとうにそうなんだよ、

 

1年の修了式には、またねって約束したのに。

そのまたねがいつまで経っても来ないんだよ。

 

2年の6月に仙台まで遊びに行ったけどどうもよそよそしくてかなしくて、冷たくしてしまった。

ガキだったなあわたし。

 

 

 

私中学三年間ずっと生徒会執行部でした。

行事のポスターは全部私が描いていました。とてもとても誇らしい仕事でした。

 

代々生徒会執行部の絵のうまい人だけが任せられる仕事でした。

2つ上の絵のうまい先輩が卒業したあとからずっと私の仕事でした。

 

 

2年の文化祭も当然私の仕事でした。

張り切って2枚も描きました。

それ以外にも山ほど仕事があったけども、

 

だって私に任されたこと。なのに

Aも描いていました。しかもそれが街中にはられました。

 

何故かとてもわからなくてくやしくてくやしくてくやしくて、

 

どうして毎日私は勉強しながら家で寝る間も惜しんでポスターをつくっていたのに、

 

こいつは学校にも来ないでお絵描きなんかしているんだろう?

 

 

とてもとてもとても腹が立って、

嫌いになってしまった。親友を。

その時に言われました、何がわかるんだと。

 

 

3年に上がってからはAはもうクラスメイトですらなくなって、特別学級になっていました。

 

知らない。何も。

 

 

友達ですらなくなってしまった私になんの知る権利も無いのだろうけど何も知らない。

 

私が必死に受験勉強をしている時もAは畑でさつまいもを作っていた。

 

放課後残って勉強する私たちに差し入れって焼き芋が配られたけど口をつけなかった。

 

 

そのあと名前書けば入れる私立に入ったけど夏服になってすぐに見なくなった。

それからずっと見てなかった。

生きてるかすらわからなかった。

 

 

 

なのに、一昨日。

いた。生きてた。生きてたんだ。

 

普通に船にいた。

 

 

頭がぐわんぐわんまわって死ぬかと思った。いきてた。いきてたんだな。

 

どうしようもないけど。かける言葉もないけど。

 

小さい頃Aの家で遊んだ記憶がぐわんぐわんまわってまわって、一緒にしたお絵描きとかお菓子作りとか、

 

 

どうしていいか分からない。

私は今生きている。普通に高校に通ってる。

大学にもきっと進学する。

 

けどあいつは?高校は?大学は?その後は?

 

 

だれか私は悪くないって言ってほしいけどきっと多分私が全部悪い