だったらお前が死んでみろ
不幸中の幸いってことはめちゃくちゃ嫌いなんですよね。
なんだかTwitterで見ました。うつのひとにかけてはいけない言葉ランキングに
「でも○○はよかったんだから立ち直れよアハハ」みたいなニュアンスのやつがあった気がします。
なんですかね不幸中の幸いって結局不幸じゃないですか。
不幸の中で見るから幸せに見えるだけであって本来それって必要最低限のものだったりしませんか、
たとえば家事で家はまるまる焼けたけど家族は軽いやけどですんだとか。
なーにが不幸中の幸いだ。
全然幸いじゃない。家はないしやけどもしてるわばあか、
だって家があるのも家族がやけどをしていないのもきっとその家族にとっては当たり前の日常だったわけじゃないですか、
(ここでは毎日生きていることに感謝とかそういうのは視野に入れないことにする。毎日感謝してます。ママ毎日お弁当作ってくれてありがとう。)
日常それが失われているのに「幸い」だなんて言ってしまうなんて励ましかなんか知りませんけど、
被害受けた側からすればうるせえよオメーんち燃えてもそんなこと言えんのかってなりませんか?
というのも
わたし、東日本大震災の支援関連で小学生と中学生の頃、いろいろなところに連れて行っていただきました。
沖縄、大阪、鹿児島と横浜と、
弟も北海道と神戸にお世話になりました。
たくさん物資の支援も頂きました。
本当に感謝しています。たくさんたくさん勉強になりました。
でもなんかそれをねたむのって違うと思うんです。
決してぼくらは被災した可哀想な人たちとか思っている訳ではなくて、
たくさんの支援を頂いたのはみなさんのあたたかいおこころがあったからで、
それはうらやんで手に入るものでは無いし
妬むでもないと思うんです。
中には
「いいなあ~私も沖縄いきたい」でも、「それもらったの?便利だね、」では無く、
「被災したからってずるい」「そんなにいっぱいずるいよ、」って
ずるいって、、
ずるい?
ずるいですか?ずるいと思いますか?
みなさんがずるいと思うのならきっとずるいんだと思います。
でももしそうなら私はみなさんがずるいです。
だって家がある。家族がいる。変わらない地元がある。自分が生きている。
被災した方々の中には全部なくなってしまった方もいるのに、ずるいって言うんですか?
ずるいっていわれるたびおもってしまう、
こんなことかんがえるのはよくないってわかっていてもおもってしまう
そんなにずるいならおまえも家なくなったらいいよ、家族死んだらいいよ、そうしたら多分みんないろんなものをくれるとおもうよ、
なんだか愚痴のようになってしまってごめんなさい。
でもこのまえひさびさにずるいと言われてどうしても引っかかっていました。
よんでくださったみなさんはずるいとおもいますか、