課題研究とか、
課題研究も2年目に入りました。
昨年はイベント開いたりとかなんとかでそれなりに充実していた気がします。
さて、今年は何をするか。
なんだか私、課題研究1年でおしまいだと思っていたので1年で終わるように計画を立てて完結に終わらせてしまった
それゆえどうしていいかわからなかったのですが、
今年はさらにでかいことをします。きっと。
なんだか小規模でコソコソやっていたのでいつまでも交友関係やらが広がらずに内輪でしたが、
それゆえ 仲間が集まらず「継続するシステム」というものを作れていなかった。
私のやることは今日明日やって意味のあることではないと思うので続けるためのナニカが必要で、
そのナニカを今年は探すことにします。
それがすぐ見つからなくとも私には大学という選択肢がある。
そのために大学にいくのだ、
今年1年は大学0年生みたいなクソ進学校の3年生0学期勉強しろ!!みたいなこと言うんですけど、
大学の勉強に勝たずとも劣らず、
そんな気持ちで。
そんなやばいすごいでかい学びを得る機会がゴロゴロたくさんあって楽しい大人がわんさかいるのが地元の一番好きなところです。
すき。ケセンヌマ。
別の話なんですが、
高校生ってもっと大人だと思っていました。
昔読んでいた漫画の中の高校生はもっとしっかりしていたしかわいかったし、いろんなことを成し遂げていたなあと。
もちろん漫画の世界。
それだけじゃなくて、母から聞いた高校時代の話とかパパ上の武勇伝とか。
いつまでも高校生になった自覚がなくてついに高校生3年生になってしまった。
まるでこの後にもう1回本番の高校生活があるみたいな感覚。
時間の流れに自分の中身が追いついていないです。
前記事にも書きましたね、モラトリアムが欲しい。
今年も頑張らないわけにはいかないのです。
ほんき。
でもたまにしんどいのでみんなほめてください。
心理社会的モラトリアム
今年から倫理選択してるんです。
とてもすきですこういうの。
心理社会的モラトリアム
モラトリアムはもともと経済用語で支払い猶予って意味だったはず。
大人としての責任を果たすことを猶予される期間つまり青年期
わたし自身心理社会的モラトリアムの真っ只中にいる。
きっとたぶん人が二回生まれるうちの二回目の生まれたてだと思う。
大人になりたくないずっと高校生という環境に甘えていたい。肯定してくれる大人と勉強さえしていれば生きていける学校生活と親の前保護下にある安心感。
このまま時間が止まってぐるぐる同じところを回っていたい。
きっとこのブログは抑圧を防ぐための合理化であり投射であり逃避であり同一視のためのものなんだと思う。
きっと忘れてはいけない。
未消化で腹の中にためたままの何かが腐る前に外に出さなければその毒で死ぬ。
多分生きるのが下手くそ。
とてもねむい。寝ていたいと思うけれど今日はえらいから6時の始発船で朝課外受けに行きました。
まいにちまいにち目の前のやることをこなしていけば過ぎていく時間が惜しい。
高している間にも私の高校生活は終わりに近づいていくのだな。
とてもかなしい。
高校生出なくなることが悲しい。
中学の頃もそうだった。中学生じゃなくなってしまうのがどうしても不安だった。
まだぬるま湯に浸かっていたい。
典型的なピーターパンシンドローム。
大人になりたくない。
モラトリアムをください。
こうこうさんねんせいですって。もう半年経てば選挙権まで貰えちゃうんですよ。
もう2年でおさけもたばこもかってにしろ。
早いなあ。イキり中学生だったころが遠い昔のようです。
不衛生なニードルであけたピアスが排除されてはあけ直す。
外から見えないところに自分だけピアスがあいてるって言う優越感が好きでした。
大人になるとは人を許すことですか、
私は最近大人になった気がします。
もし
もしっていうのはイフの方ですねもしも、の方
その話をしようと思ってここを開いたのですが、その前に今日の模試の話をしますね
マークのやつって英検とかの丸いタイプと四角いタイプあるじゃないですか。
あの四角いタイプ超キライです。
とにかくマークが苦手。すごく。
自慢じゃないけど志望校判定でマークミスで読み取り不可、センター模試でマークミスでかなり落とした。
センターもぐりぐりの丸い方になんねえかな
今回は記述模試だったんですけどね。
もうなんか生物ガチってたのに夏緑樹林書けなくて辛いけど数学はとてもがんばった(当社比
以上です。次から本題です。
もしもあの時あれを言わなかったらとかあれをしていたらっていうシリーズ
とてもとてもたくさんある。
そうですね、もしもあの時親と先生の反対を押し切って宮城野受けていたら
もしもあの時引っ越さずにあのまま栗原にいたら
もしもあの時もう一歩飛んでいたら
だとか、なんとか
結局もし、って思うのはすべて過去の話で後悔である。
話の途中なんですけどいまだ母親に言われたこといいますね、なんだか首の皮がとても伸びたので見せたら弟もめちゃくちゃ伸びて「おめーらゴムの木か」って言われました。木。
話を戻すと、もしもって言うのは大抵はどうにもならないことで
今更言ったってどうにもならないことで
それでも、もしあのとき、って言ってしまう
きっと多分生きていて後悔しないことなんて不可能なのだろうけど。
終わったことは変えられないしどうにもならない。過去を悲観して後悔して恨んだところでどうにもならないと最近悟った。
それでどうだっていうのはあんまり無いけど
気の持ちようというか、その、
大丈夫だろ、だとかなんとかなるだろ、
起こってしまったことはどうにもならない
犯した過ちですら。
まだ記憶にあたらしい。
そういうネタが多いですけど人格形成がなされる小学校高学年頃の出来事だったので許してください。
あれはきっと起きなければみんな死ななかったに何も失わなかったけど
まあ起こってしまった。
私も起こらなければよかった前の暮らしの方が良かった絶対に前の方が良かったんだと考えていた時があったけど
それじゃどうにもならないなと。
だってどう頑張ってもなくなったもの達は帰ってこない。
だったらいつまでもメソメソしているよりも東日本大震災のために世界中のひとたちがくれた恩恵をめいっぱい受けて生きていきたい。
最近夜電話していると(誰とは言わない)東日本大震災以前の港のターミナルの映像が頭の中で流れる。
とてもとても懐かしくて、あの待合室のベンチでのんだオロナミンC
とっくの昔に忘れていたと思っていたあの景色が鮮明に浮かんで、それどころか毎日新しいことを思い出す。
2回の入口、庭のモニュメント。
後悔していない訳では無いのだとおもうけど
でも今楽しい。気仙沼にはとてもたくさんの愉快な移住者が来ました。
前はなかったクリエイティブな魅力がある。
と、
うだうだと考えているうちは後悔をしてもし、を考えているのだろうけど
私は起こったことのたいていはいいように捉えて糧にしていけるような人になりたい。
小学生
中学2年の1年間、7つしたの小学校1年生の女の子達ふたりと学校に行ってました。
幼なじみの元JL君の妹とその友達なんですけど。だいたい妹。
毎朝待ち合わせして学校まで20分くらい歩いてる言ってました。
あんなに小さくて純粋すぎて、
どっちが手つなぐかで喧嘩してたような子たちが、今5年生。
ごねんせい。
なんかもうね、身長もこされそう。
地元で割と有名なマラソンのスタッフにいったらわらわらそんな小学生がたくさんいて
自分は全然変わってないのに時間はすぎてるんだなあと思いました。
要請でキッズコンサートの手伝いに行った時にうっかりきなこと名乗ってしまって以来5年くらいきなこババアって呼んでくる奴らはマジで5年後後悔しろ。させてやる。
クソガキ真っ盛りの小学生たちにメガネウーマンっていわれるけどなんのdisりにもなってなくてひたすらにかわいい。
自分が小学生だったときこんなクソガキだったか、と思い出したけどたいそうなクソガキでした。
多方面に謝り倒したい。
小6のとき担任だった恩師によく会うけれど申し訳なくて仕方ない。本当に。
ステージ
ステージに立ってスポットライトが浴びたい。
夢でした。否、夢です。
本当は歌って踊れるアイドルになりたかったし、アニメとか洋画に声を吹き込む声優になりたかったし、舞台で別人になりきりたかった。
ばかなはなし、
たとえそういう進路に決めて進んだととしても生計が立てられている人はほぼいないし、たとえ何かのきっかけがあって売れたとしても食べれるくらい働いたのならきっと疲れきってやめたくなってしまう。
私が歌が下手くそなのはご存知の方がいるでしょうね。くそ音痴です。救いようがない耳が悪い。
この前歌の上手い人に教えて貰って初めて知ったんですけど、
混声二部合唱とかなんとか、デュエットとかみんな声が聞きわけられるらしいですね。
某7人組王子アイドルユニットがすきでよく聞いているんですけど、さっぱり。
誰が歌っているかくらいは2人までならわかるけどそれ以降は誰だなわからない。
7人で歌われるよ「そういう声」に聞こえる。全部合わさっている声。
っていったらは???なんでお前声優好きなの???とか言われてしまって自分でも分からない。
みなさんそんな耳がいいんですか…
そう言えば小学校低学年の頃に受けた音楽の聞くテストで、「ポーーン 、この音を答えなさい」って電子ピアノの音を鳴らされて音階を答える問題があったのを覚えている。
馬鹿じゃねーのそんなの分かるわけないだろって思ってたらまわりのみんなカリカリ書いていて焦った。思い出すとうちのクラスにはピアノやってるひとがたくさんいたけれども。
音痴なのは自覚しているし下手くそなのもわかっているが、合唱でだんまり口パクなんてことはしてはいけないと思ったので、
家でめちゃくちゃ練習してヘタクソなりに歌えるように頑張った中学の頃の合唱で
めちゃくちゃバカにされて笑われてしまった。
音が外れていたら名指しで怒鳴るような先生だったし、音取りもしてもらっていたのになぜだろか、いまだに解せない。
ただ単に嫌がらせだったのだろうか、とかなんとか。
文化祭の劇で主役をやった。脚本は私が書いた。
裏でコソコソ言ってたの気づいていましたよ私。
そんなこんなで人の前で何かをするのが怖くなるのなんて自然なことでいまだに合唱は大嫌いです歌えない。
歌えない、演じれない、
それでもステージに立ちたい。
残ってたのがプレゼンでした。それだけです。
残された唯一の道ですから、そりゃ命かけてやるでしょう。
快感でしかない。あの、オーディエンス全員がこっちを向いてるとき。問いかけに頷いてわらうなんて。
一瞬で私の世界がつくれる。
プレゼンだけは頑張りたいやめたくない。
戯言です。
春だ
もう春だ。
中学三年の夏に親と雰囲気に流されて高校決めてから3年がたってしまう。
本当にここに来てよかったのかとかは最高学年になった今もよくわからない。隣の高校の実習がうらやましかったりもする。
進路うんぬんはここでなくともなんとかなったような気がしなくも無いし、
こっちにきて勉強で苦労はかなりしてるけど
なんだろう、
もう後戻りとかは一切できないし
やれるやりたいそんなことが見つかったような気もするし
これでよかった気がする。
そう思うことにしたのこのまえ。
結果的にいま割と幸せである
じゃあ良くないか、
さっさとAOで受かってバイトするのが今年の目標というか計画です。
敵に塩を送るような優しくもない人間なので教授から聞いた入試関連はの話は私の中に留めておきます。ごめんなさい。でもオープンキャンパスは必ず来なさいって言ってましたこれだけは。
本当のことを言うと今すぐ私を構成している原子が全部バラバラになって空気中に散って消え去りたいくらい不安だしAOなんか受かる気しねえし正直不安要素ばっかり、
投げた企画に対する罪悪感とか高校の統合に対する不快感とかだれかに対する劣等感とか、
きりがない。
よくわからないけど泣きながら薄暗い道40分歩いて帰る。
1日生きたご褒美にツルハでグミかルマンドを買って帰る。
まだ生きているので頑張れるんですよ、わたし
あんまり先のことはわからないので目の前のことをコツコツこなします。
今年は平常点は満点取れるようにします。
ブログをかくということ
そういうイメージがあるじゃないですか、
有名人のブログしか意味無いみたいな
でもそうじゃない気がするんですよね
このブログのタイトルは備忘録ですし
かきたいからかくみたいな。
中学時代書いていたブログがなぜかヒットしていた理由を今考えると、
きっとたぶん思ったことをそのまま書いていたからとか
ただ単に女子中学生に対する好奇心とか
それとも同サイト内で共感を集めたとか。
何が言いたいかというと思ったことをそのままかけるって言う点でブログってのはいいんじゃないかと。
日記と何が違うかは人に見せるものなのである程度まとめようとすることとか、
語り口調だったりとかするところとか、
日記は無くしちまえば終わりだけどネットなので半永久的に残る。これは良き悪きもあるけど
あと日記って人に見せれない。
ひとのブログとか日記とかみるの大好きなんですけど、あんまり日記って見せてもらえない
みんなブログかけよ
そして感じたこととか思ったこととかもっと共有すればいいと思う