備忘録

備忘録をかねたアウトプット

衝動性

思い立ってしまうといても立ってもられなくなるのをやめたい。どうにかしたい。

 

結果的にいつも余計なことをしてしまう。

やめたい。

 

 

中学三年の冬休みに、お年玉でPSPを買ってしまったことを未だに後悔している。なぜ買った。

母の実家に帰省していて、ふらっといったブックオフでかってしまった。

なぜ受験生の冬にそんなことをしてしまったんだろうか。買うとしてもPSPじゃなくてVita買えばよかったのに。

結局いつ寝ていたのか理解できないくらい寝ていなかった。

 

衝動買いをやめられない。

 

 

衝動的に家を出てってしまうのもやめたい。

 

夜中だろうと朝だろうと行こうと思ってしまうと寝れなくなって行動し始めてしまう。

そのまま寝ればいいのに。寝たいはずなのに。

 

 

後々面倒になって辞める。

衝動的に始めたことだから続くはずがない。そういうのよくないと思う。とても。

 

計画性が無い。無さすぎる。

そのあとのことを考えられなさすぎる。

 

やけくそで衝動的にはじめたことが悪いくせになって何年も続いていることがある。本当にそれはやめたい。人生損している。

 

 

どうしたら考えて行動できるようになるんだろうか。どうしたら椅子にちゃんと座れるようになるんだろうか。どうしたらプリントを順番通り並べて保管できるんだろうか。どうしたらロッカーがちゃんと閉まるようになるんだろうか。どうしたら部屋が片付くんだろうか。どうしたらえんぴつのキャップをなくさないんだろうか。

 

 

小学校のころ筆入れの中身を無くしすぎていつもスカスカで丸まったキャップのないえんぴつとゴミしかはいってなかった。

 

丸まった上に筆圧がよわくて何書いてあるかわからなかったノート。消しゴムがないからぐちゃぐちゃにしてつぶす。

算数のノートがなくなって国語のノートに計算してた。

 

その頃から比べるとちゃんとできるようになった。

各教科のノートはちゃんととってるし、筆入れの中身もちゃんとある。ノートもきれいにとれるようになったし筆圧も強くなった。

プリントは三日遅れくらいだけど出せるようになった。

 

ちゃんとができない。

このペースでいったら死ぬ頃までにはちゃんとが理解出来るようになれる気がするけどそれじゃあ遅い。

 

夢日記

なにかの映画の悪役であろう(cv宮野真守)気を違えたおにいさんからめちゃくちゃ逃げる夢

 

どっかのホテルのなんかの仕組みで嵌められている。

館内に巡らされてるパイプには音も通せる。不協和音がドーン。

 

この仕組みを知ってるのってこのホテルのあの気を違えたお兄さんだけじゃ…?

 

走って何人かで行くとめちゃくちゃ怖いピアノかオルガンかわからないの引くお兄さん。

ばたばた走ってきたのを怒って超怒られる。

 

場面がどっかのホールから中学の体育館の入口から実家の庭になる。

 

ものを反対に投げてフェイントかけて逃げる逃げる逃げる逃げて隠れる。

たまにある超アクロバティックなにげ方

 

 

気づいたら某接着剤YouTubeとカーチェイスしてた

五月病にならない理由

それはズバリ万年五月病だから。

いつも学校はだるいし割とやる気がないし割と眠い。通常運転。

5月だからだるいとかはない。それだけ。

 

4月だから張り切るということもない。

張り切らずとも週間とすべく始めたことはだんだん挫折していくことを感じる5月。

職員室前の自習スペースで部活がない日は勉強しようと決めたものの、週3回の部活に圧迫されつつサボり気味である。

よくない。

嫌いな数学はそこそこ出来ている。

 

中間テストの範囲が数ⅠA全部なのは理解できない。できないというかしたくない。

 

勉強しようという意思はあるし去年よりは勉強できている(当社比)

 

 

やめるやめる詐欺と未遂を繰り返していた部活は直近2回は行っている。

 

今日は化学室で廃油石鹸を作っていて水酸化ナトリウムで手が溶けた。指紋認証してくれない。とても悲しい。

多分明日も行くとおもう。

 

 

 

今年になってから性格が悪い。どうも昨年度まで許していたことが許せない。

ささくれだったまま寝かせられない甘皮がいたいみたいに、耐えられない訳でもないけど気にならない訳でもない。

 

すきだ。ともだちだ。

そう思ってもどうも耐えきれないものもある。

女子高生なんかいつめんとか言っておきながらいつの間にか干されているのが普通だと思う。その通り。

いや干されてはいない。私が嫌なだけ。

 

 

 

昨晩某トマト調味料にキリスト教のさわりを聞かされて、十戒のうち7つを覚えました。

それと初代ローマ教皇だとか、プロテスタントはいっぱいだとか。嫌いじゃないです。

好きでもないですけど。

大学生の先輩のキャスとてもとてもたのしかったです。

 

 

まだ5月。もう5月。

いやでも受験のことを考えなくてはない。

模試の結果よかったよ~的なことを言われましたが届いているんならさっさとよこせよオラってきもちになる。

 

 

なにか書こうとしていたのだけど船に乗ったら忘れました。

明日も生きます。

 

 

 

あえて地元を批判する

その前にtwitterで報告してもないのにアクセスあるのってなんですか。定期的に見に来ている人がいる…?

 

 

 

本題、

あえて地元を批判するということ。

 

大抵の大人が地元が好きだとか地元愛だとか言う言葉を使うけれど、最初からそうだったとは限らない。

 

地元っていうのは若い中高生にとって煩わしいものの場合の方が多いともう。

 

私もそうだった。クソ島めこの野郎沈めとか思っていた(言い過ぎ)

 

でもそれって言うのは地元っているぬるま湯に嫌気がさして都会に刺激を求めている場合が多いんじゃないか。

 

 

高校に入ってよく聞く、「高校に入って地元の良さに気づきました!気仙沼だいすき!」みたいな人たちも

最初はこんな田舎の港町ではなく、都会のコンクリートの中でオシャレに生きたいと思っていたはず。

 

 

たしかに“ こんな田舎”だ。

スタバもマックもないし、遊びに行くとすればイオンかカラオケ。駅はもはや最寄り駅としての役割を果たしていないしシャッター街ばっかり。

ライブハウスも映画館も無い。高いビルもない。

 

 

さらに東日本大震災で甚大な被害を受けて沿岸沿いは工事中。土埃しかない。

 

人口減少率は国内でトップクラス。向こう30年で人口が今の60%にまで減る予測。

高齢化が進んで3人に1人が高齢者。

なのに出生数は300人。これからも減る。

 

アクセスしづらい位置にあって車で来るしかない。

もしくはガタガタすぎる電車。それもいったん岩手によらなきゃない。

 

 

 

そんなところの何がいいと思うのか。

なぜ私はこんなにもここにいたいと思うのか。

 

その理由がぬるま湯だと思う。

 

ぬるま湯という環境があるからこそ、自分で刺激的なことを生み出せるのだと思う。

 

 

今日会ったシティーガールが、

東京は誰かがつくった楽しいものはたくさんある。けれどもありすぎて自分でなにかしようとは全く思わない。

って言ってた。

 

たしかに。

ここには何も無い。だからこそ作ろうとするのかもしれない。

 

 

このぬるま湯はぬるい締りのない場所っていう意味ではなくて、

 

暖かい安心して生きられる環境っていう意味のぬるま湯な気がする。

 

 

このぬるま湯が好きだ。

 

 

改善すべき問題だらけでも、安心して生きられるこの地で、問題を解決すべく走り回る。

 

いちばん幸せな気がする。

 

いつも新しくいられる気がする。ないなら自分で新しく作ればいいのだから、誰かに与えられるだけではないのだから。

 

 

 

ただし多くの場合、そこがぬるま湯というのはその場所出身の人にとってだけ。

 

しかしこの気仙沼という地。

宮城県内でいちばん住んでいる外国人数が多い上近年移住しやすいと話題(だと思う)

 

なんでかって言うと港町で、もともと遠洋漁業の人達がたくさん来るので

外から来る人たちに対する抵抗が低い。

 

来る者拒まずどころか、来たらもう地元のために頑張れくらい、いい意味で図々しい。

 

 

こんなふうに考えられるのは地元が嫌いだったからだと思う。だからあえてまず批判する。そこから価値を考える。

 

 

 

それと新しくコンテストに出すプロジェクト始めました。

あやしいナリの女子高生がいきなり現れたにも関わらず優しくお話してくれた観光コンベンション協会の次長さん超いいひと。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

偏差値

が、信用ならない。偏差値って結局なんなんですかね偏差値がたとえ60あろうと70あろうと落ちるもんは落ちるんでしょうね。

 

 

こんなブログに堂々とかけるほどの偏差値はないですがどうも調べて出てくる偏差値が信用ならない。

もっというなら模試で出る合格判定はもっと信用出来ない。AだろうがBだろうがCだろうが不安なものは不安である。

 

 

私立大志望と言ってきたが今更感がすごいが学費が辛い。

行けるなら国公立大学と言いたいところだがセンター試験まで頑張れるのか私…?

 

現状の偏差値の上がり具合だけで見れば選ばなければ国公立くらいなら頑張れなくないけど今だけの話である。担任から私立文系で馬鹿にされまくってるので宮教はお前は5年死ぬ気で頑張っても無理って言われてかなり腹立たしい。5年ってなんだよ。

 

学生支援機構(うろおぼえ)の無利子奨学金の条件って評定3.5なんですね3.5。

なんかもっと4.5とかだとおもっていた。

 

 

 

 

 

 

なんにも知らないくせに

何を言うの?

 

アホみたいなはなしですよね何も言ってないから知らねえに決まってんだよ馬鹿野郎

 

載せるか迷ったけれどどうしてもこのまま腹の中に収めておけない。

 

なんにも知らないくせに

お前に何がわかるんだ

 

 

中学二年から不登校になった幼なじみが言っていました。(以下A)

中学二年の始業式の日にいつもより時間が遅かったので

(私はいつも7時20分に学校につくくらい登校がはやい)

Aの通学路の道の曲がり角で遅刻ギリギリまで待ってた、けれども来なくて、

 

元々1年の頃からわたしと欠席日数トップあらそいする位には休んでしまうやつだったので今日はサボりかなとか思って

 

たのに、次も次も次も来なくてたまに来てもすぐにいなくなって、

その居ない間のノートやらプリントやらはぜんぶ私がが管理していた。

 

 

なのにどんどん来る頻度が下がって下がって下がって、なのに幼なじみでずっと親友だと思っていた私にはなんの連絡も無くて、

 

ああばかみたいだ。

私だけからまわっている、そんな気がした。

 

 

母から友達なんだから優しくしてあげなさい、って言われてどうも引っかかって「友達なの?」と言ってしまった時、人生でもトップ10に入るくらい怒られた。

 

でもほんとうにそうなんだよ、

 

1年の修了式には、またねって約束したのに。

そのまたねがいつまで経っても来ないんだよ。

 

2年の6月に仙台まで遊びに行ったけどどうもよそよそしくてかなしくて、冷たくしてしまった。

ガキだったなあわたし。

 

 

 

私中学三年間ずっと生徒会執行部でした。

行事のポスターは全部私が描いていました。とてもとても誇らしい仕事でした。

 

代々生徒会執行部の絵のうまい人だけが任せられる仕事でした。

2つ上の絵のうまい先輩が卒業したあとからずっと私の仕事でした。

 

 

2年の文化祭も当然私の仕事でした。

張り切って2枚も描きました。

それ以外にも山ほど仕事があったけども、

 

だって私に任されたこと。なのに

Aも描いていました。しかもそれが街中にはられました。

 

何故かとてもわからなくてくやしくてくやしくてくやしくて、

 

どうして毎日私は勉強しながら家で寝る間も惜しんでポスターをつくっていたのに、

 

こいつは学校にも来ないでお絵描きなんかしているんだろう?

 

 

とてもとてもとても腹が立って、

嫌いになってしまった。親友を。

その時に言われました、何がわかるんだと。

 

 

3年に上がってからはAはもうクラスメイトですらなくなって、特別学級になっていました。

 

知らない。何も。

 

 

友達ですらなくなってしまった私になんの知る権利も無いのだろうけど何も知らない。

 

私が必死に受験勉強をしている時もAは畑でさつまいもを作っていた。

 

放課後残って勉強する私たちに差し入れって焼き芋が配られたけど口をつけなかった。

 

 

そのあと名前書けば入れる私立に入ったけど夏服になってすぐに見なくなった。

それからずっと見てなかった。

生きてるかすらわからなかった。

 

 

 

なのに、一昨日。

いた。生きてた。生きてたんだ。

 

普通に船にいた。

 

 

頭がぐわんぐわんまわって死ぬかと思った。いきてた。いきてたんだな。

 

どうしようもないけど。かける言葉もないけど。

 

小さい頃Aの家で遊んだ記憶がぐわんぐわんまわってまわって、一緒にしたお絵描きとかお菓子作りとか、

 

 

どうしていいか分からない。

私は今生きている。普通に高校に通ってる。

大学にもきっと進学する。

 

けどあいつは?高校は?大学は?その後は?

 

 

だれか私は悪くないって言ってほしいけどきっと多分私が全部悪い

国語の教科書に載りたい

とくに評論のくくりで論を展開していらっしゃる著名人の方々で、

本当に何を言ってるのか全くわからない人がたまにいる。

 

いい論文や評論は反対意見を加味した上で論ずるものだと習いましたし実際その方が説得力があるのは絶対ですよね、

 

今年使っている現代文B下巻の一発目の評論が偏見すぎて面白いしどこか宗教じみているというか共産主義

こんなアクセス数の少ない内輪ネタブログですけど風評とかうんたらとか言われたら言われたら嫌なので明確には出しませんけども。

 

やたらに難しい熟語とか訳す意味のわからない横文字が多用される評論すごく嫌いで読む気失せる。

 

小説はなんかそう言う芸術なんだなあと思うと楽しく読めるんだけど、

どうも評論って苦手で(テストで点が取れるのは評論)

 

 

将来とても著名になったら国語の教科書にでも載りたい。

中学高校と私を悩ませた偏見まみれの論証で同じように若者を悩ませたい。

 

 

偏見だろうとなんだろうと評論ひとつ読み終わると知識や見方が広がっているのは確かなので苦手だけど嫌いじゃないです。

けれど国語の模試で楽しくなってつい問題を解くのを忘れてしまうのはよくないと思う。

 

 

 

同じように私の価値観が誰かの役にたくのなら生かしたい。

欲を言うなら好きだった国語の教科書にのりたい。っていう話です。